ばけばけと宇宙人の目2025年11月08日 17:58

朝ドラ「ばけばけ」のタイトルバックの文字が小さいと話題になっているようです(その後、少しだけ改善)。情報メディアとしてのテレビの物理的な大きさは時代によってずいぶんと変わってきましたが、初期の画角4:3(NTSC規格)では、実験放送時代の14インチから高級家具並みの外枠を付けた20インチ以上の製品までが普通でした。その後、画角16:9(HiVision2K規格)を経て、現在は4K対応の製品も多く出回っていますが、26〜32インチは2K普及品で、量販店などで勧める標準的なサイズは40インチ以上です。なかには100インチという映写スクリーンサイズも現れています。
 そうした時代状況もあって、放送用のメディアコンテンツを創る現場では、4K対応以上のマスターモニター(至近距離での映像確認用)が31インチ、一般家庭を想定した一般視聴確認用はおそらく65インチクラスを使っているのではないかと思われます。
 当然のことですが、そうした環境で制作•放送されるコンテンツは、小さな画面での見え方に十分な配慮が行き届きません。NHKが“高解像度”を謳って番組を提供し続ける限り、ごく一般の視聴者との画面意識のギャップはなかなか埋められないような気がします。日常的にはテレビを観ていないので、よくはわかりませんが、高解像度が本当に必要な番組はほとんどないというのが実状でしょう。実際、民放各局は再来年度から4K放送をやめることにしました。
 おそらく、ネットフリックスなど有料のサブスク系動画プラットフォームは大画面での提供を前提として今後も続くのでしょうが、一方で、SNSなどの“無料”ネットメディアは、“大きな文字”を含め画面全体を使って単純な訴求力を上げる方向に進んでいますから、このままでは大きな乖離が生まれるかもしれません。今後、活字離れがますます進み、情報需要が動画に集中すればするほど、人間の視覚神経の精神的な分裂症状が現れてくるような気がします。
 たとえば、SFに出てくる大きな目の宇宙人の表象が何だか少し現実味を帯びてきたように思いました。

自壊へと突き進む政治2025年11月15日 17:59

12年前の杞憂がいよいよ現実化してきたような昨今です。週末に「ばけばけ」のテーマソングを聴くたびに、日一日と「世界が悪くなる」。そして「気のせいかそうじゃない」と自覚する繰り返しが続いています。
 「(中国が)戦艦を使って、(台湾海峡への)武力の行使も伴うものであれば(日本の)存立危機事態になり得る」という首相発言は、何重にも無分別な認識から来ていると感じます。“戦艦”という時代錯誤は置くとして、国際的には他国の“国内”事情に“防衛出動”する可能性があると受け止められる答弁は、その昔、山縣有朋が提唱した“利益線”がいつのまにやら“生命線”へと変わっていった満洲と、その後の日本の歴史を彷彿させます。
 国連の“敵国”条項がいまだに残っている状況で、不戦を誓った憲法を持つこの国が、こうした情報を発信したことは、いかに政府が現実世界を見ていないのかを世界に知らしめたことになるでしょう。アメリカ、いやトランプ政権は静観します。ジャパンハンドラーがいなくなったホワイトハウス周辺でも、高市おろしの動きは出てこないはずです。彼らが日本に求めるのは、今や、どれだけ金になるかだけですから…。
 空手形の“経済安保”しかないくせに、自国の優れた技術を冤罪へ貶めるような司法がまかり通る状況は、自壊へ進んだ安倍路線の成れの果てに見えます。

日中の橋懸かり2025年11月16日 18:01

 外国人の日本語学習支援の一環として、先月から季節の和歌を紹介する小さな小さなWeb“講座”を始めました。毎回テーマを決め、古今和歌集を中心にその題材にふさわしい5,6首の和歌を探しては、関連する情報と一緒に紹介するというものです。どちらかと言えば理系の仕事に携わってきた人間なので、古典の専門的な知識は全く持ち合わせておらず、作歌の経験もありません。当然のことながら、自分の勉強が9割ぐらいを占めているのが実状です。
 あえていえば、退職後よく聴きにいくようになった様々な伝統芸能にも含まれる、「見立て」という日本文化の特徴的な美意識に惹かれるところがあって、その表現の多くを和歌から感じてみたいという意識が強くなりました。NPOの文化祭で行った音読や、地元の日本語教室で行った「七五調」紹介の延長線上にもあります。
 元々のきっかけは、学習支援を担当していた留学生と一緒に、様々な日本文化を知る機会があったことです。その留学生が今回、中国から参加してくれました。帰国してからも時々メールのやり取りやZoomで話したりはしていますが、この度の一政治家の“度し難い”発言で外交関係が急速に悪化する中での参加でした。この記事をアップしようとした矢先に、中国教育省が「日本留学は慎重に」というコメントを出したそうです。
 今後どうなるかは予断を許しませんが、細々と日中の交流を続けていこうと考えています。

本をつくり、届ける2025年11月29日 18:04

 紅葉坂上の県立図書館へ行くのは6年ぶりです。前回は「万葉集のことば 現代のことば」という飯間浩明さんの講演を聴きました。今回は「本をつくる 本を届ける」という演題で、三輪舎代表の中岡さんが話します。
 前段に、戸塚にある明学大横浜キャンパスの図書館で事業運営をサポートする学生が活動報告を行いましたが、本を読まなくなった学生に向け、有志が様々な企画を立てては本の魅力を紹介するという、いかにも最近の大学事情を表した発表でした。図書館司書と連携しながらの活動ですが、長期間にわたってPRできるスペースがあることそのものが、大学キャンパスならではのことかとも思います。留学生は縦書きが苦手というのはうなづけます。
 さて、中岡さんの話は、過去に何度か聴いてはいるのですが、今回それらをまとめて聴くことができたのが何よりです。本を“売る”ための“最先端”の売り場で感じた様々な本との出会いから生まれた「いつか本屋を始めたい」というワクワクする想いは、ミシマ社や夏葉社など“まっとう”な独立“系”出版社の本などとの出会いもあって、いつのまにか「出版」へと変わっていったようです。
 出版の多くは外注。著者から校正・装丁・印刷・製本まで多くの人との共同作業になりますが、その中心というか、それらをつなぐ編集・発行作業の生産手段そのものが個人でできるまで縮小してきたことが大きな変化を促して、ひとり出版社を生み出しました。ただ、そこには「くふう」と「くろう」が必要です。
 一方、「本屋Bar」からクラウドファンディングを経て再建途中だった石堂書店の2階に事務所を構えたものの、並行して進む「こいしどう書店」の“理想”に危惧を覚え、書店経営の実務にも関わるようになります。そこから生まれたのが「本屋・生活綴方」でした。本屋でありながら、本好きから表現者へと生まれ変わる店番(みせばん)たちと、リソグラフのZINE作りがつながり、今まで出版した本は70冊を超えています。「買う」から「読む」、「読む」から「作る」という活動の綴りは、一種の社会運動とも言えるものになり、学校教育や地域活性化にも広がっている事例が紹介されました。
 そういえば、“タイパ”の時代に「おそくて、よい本」作りを標榜する三輪舎の新刊は3年ぶりのことですが、そこには手作業で作った仕掛けが施されています。そして、それは“本屋”の小上がりで完成したのです。