鵺が飛び回る悪夢の時代 ― 2023年09月17日 21:16
不思議な夢を見ました。普段は起きてすぐに忘れてしまいますが、久しぶりに連続性のあるものだったので半覚醒の状態でもしばらくは内容を覚えていました。内容自体は他愛のないもので、何か見えない猛獣のようなものに追われ、木の上に登って逃げたり、隠れる場所を探して街をさまよったりします。うなされるほどではなかったのですが、見えない何ものかに追いつめられる切迫感がありました。
もしかしたら、ここ数日の“X”(旧ツイッター)の投稿記事の記憶がないまぜになっていたのかも知れません。読むたびに日一日と朽ちていくようなこの社会の有様がそこに展開している一方で、それがなぜか現実離れのように感じるのは、活計の必要がなくなった年金生活者に実社会との接点が乏しいからでしょうか。しかし、そこには何か実態の見えない、それこそ新型コロナウィルスの感染にも似た奇胎のような“空気”が蔓延しているような気がします。
そういえば、次回作の告知から17年。京極夏彦の百鬼夜行シリーズ『鵺の礎』がようやく刊行されたそうです。“鵺”が飛び回っている時代にふさわしい物語になっているのでしょうか。
もしかしたら、ここ数日の“X”(旧ツイッター)の投稿記事の記憶がないまぜになっていたのかも知れません。読むたびに日一日と朽ちていくようなこの社会の有様がそこに展開している一方で、それがなぜか現実離れのように感じるのは、活計の必要がなくなった年金生活者に実社会との接点が乏しいからでしょうか。しかし、そこには何か実態の見えない、それこそ新型コロナウィルスの感染にも似た奇胎のような“空気”が蔓延しているような気がします。
そういえば、次回作の告知から17年。京極夏彦の百鬼夜行シリーズ『鵺の礎』がようやく刊行されたそうです。“鵺”が飛び回っている時代にふさわしい物語になっているのでしょうか。
ソン・ランの響き ― 2023年09月17日 21:18

先週、久しぶりに関内の横浜シネマリンを訪ね、ベトナム映画祭と題した1週間の特集上映のうちの一本『ソン・ランの響き』を観てきました。ベトナム南部に今も残る大衆芸能「カイルン」(伝統劇トゥオンに西洋音楽などの要素を加えたことで「改良」という漢字語が名付けられた)の一座を舞台に、主演男優リン・フンと借金取りユンの間に繰り広げられる物語です。「ソン・ラン」とは木製の打楽器。中空の木の胴と木の玉を、折り曲げた金属片の両端に取りつけ、足で打ち付けて鳴らすカスタネットのような楽器です。
原題の「Song Lang」が“二人の男”という掛詞になっているので、象徴的な意味を込めて取り上げられていますが、この楽器の響きそのものは作品内であまり目立ちません。どちらかと言えば二弦月琴「ダン・グェット」の方がベトナム語の独特な撥音と相まって強く印象に残りました。演目の一つ『ミー・チャウとチョン・トゥイー』はベトナム古代王朝滅亡時の悲恋を描いたものですが、衣装や化粧、立ち居振る舞いなど、中国の京劇を舞台にしたチェン・カイコーの『覇王別姫』を彷彿とさせます。楚漢戦争とほぼ同時代ということも関係しているのでしょう。
二つの映画で、男二人の出会いや関係は異なりますが、芸能の継承という特殊な状況は共通します。そして、それぞれに残酷な結末が用意されているところに、その異世界が持つ厳しさの一面を感じます。“ジャニーズ”騒動で性加害の問題がクローズアップされている現代ですが、芸能が持つ人と人の結びつきの微妙な関係は優れた批評性をもって語られてこそ意味があるものなのでしょう。そうでなければ、テレビのワイドショーのような茶番劇ばかりに堕してしまいます。
原題の「Song Lang」が“二人の男”という掛詞になっているので、象徴的な意味を込めて取り上げられていますが、この楽器の響きそのものは作品内であまり目立ちません。どちらかと言えば二弦月琴「ダン・グェット」の方がベトナム語の独特な撥音と相まって強く印象に残りました。演目の一つ『ミー・チャウとチョン・トゥイー』はベトナム古代王朝滅亡時の悲恋を描いたものですが、衣装や化粧、立ち居振る舞いなど、中国の京劇を舞台にしたチェン・カイコーの『覇王別姫』を彷彿とさせます。楚漢戦争とほぼ同時代ということも関係しているのでしょう。
二つの映画で、男二人の出会いや関係は異なりますが、芸能の継承という特殊な状況は共通します。そして、それぞれに残酷な結末が用意されているところに、その異世界が持つ厳しさの一面を感じます。“ジャニーズ”騒動で性加害の問題がクローズアップされている現代ですが、芸能が持つ人と人の結びつきの微妙な関係は優れた批評性をもって語られてこそ意味があるものなのでしょう。そうでなければ、テレビのワイドショーのような茶番劇ばかりに堕してしまいます。