見えないものから見えるものへ ― 2016年06月02日 23:10

長者町という街は古くから横浜に住んでいる人間にとって繁華街の代名詞でした。国道16号線と交差する4車線の道路脇に横浜ピカデリーという松竹系の大きな映画館があって、高校生の頃にはアルバイトで稼いだお金で何度も観に行った記憶があります。勤め始めてからは寄ることもなくなり、廃業した跡地は今マンションに変わりました。その代わりというわけではありませんが、道路を挟んだ反対側には小さな単館ロードショーの映画館「横浜シネマリン」が健在です。昔、母が健在だった頃にカミさんと3人で「ホーホケキョとなりの山田くん」を観に行ったこともあります。
昨日、その小さな映画館へ久しぶりに足を延ばし「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」というドキュメンタリー映画を観てきました。「飯舘」という地名そのものでピンとくる方も多いでしょう。東日本大震災が起きなければ、おそらく全国に知られることにはならなかったかもしれない地名です。原子力発電所が本来生み出さなければならないものを自ら失い過酷な爆発事故を引き起こした結果、屋外に放出された大量の放射能が降下したところです。もちろん放射能の影響は東日本の広範な地域に今も残りますが、とりわけ事故原発の北西に位置し高濃度の汚染を受けることになった飯舘村は全村避難区域となり、住民は伊達市を始めとする仮設住宅などに移り住まなければならなくなりました。
地震そのものによる“被災”は周囲と比べて軽微だったにもかかわらず、放射能汚染という未曾有の“被害”を受けさせられた人々の想いは想像することもできません。何より一時的に帰宅する我が家や村々が何事も無かったようにそのままの形で残っているものだから(いや、汚染された表土を包んだ黒いフレコンバッグだけは異様ですが)、“母ちゃん”は仏壇の故人や庭の花に留守番を謝し無沙汰を詫びるのです。とても異様です。何とも形容しがたい異常な状況がそこにあるということです。自分たちに何ら責任のないことで故郷を追われ、見た目には何も変わらない故郷に帰ることができない。現実を超える世界がそこに広がっているとしか言えません。
“ばば漫才”と自嘲する冗談のやりとりで日々笑いに包まれているかのような“母ちゃん”たちに、そうした精神的な苦難が続きます。都会のマンション生活に慣れてしまった私のような“根無し草”が果たしてそんな状況に追い込まれたら一体どうなるのだろうか。考えるだに恐ろしい問いですが、“母ちゃん”たちは仮設住宅の近くに借りた“土”で自らの食べ物を作り、味噌を造り始めるのです。それは、風土と切り離された仮設住宅の生活で荒廃しそうになった心を助け、ずっと身体に染み込んだ“土”との共生を取り戻すということだったのかもしれません。映画を観た後の監督と“母ちゃん”の舞台挨拶を聴いているうちに、私は土の道を踏みたくなって「大通り公園」まで足を延ばしました。
「横浜シネマリン」で6月24日まで上映中です。是非ともご覧下さい。
下り坂でのメディアとの付き合い ― 2016年06月08日 21:12
いつの頃だったかもうすっかり忘れてしまったが、ネット上でテレビはもう“オワコン”(終わったコンテンツ)だと喧伝されたことがあった。その頃、仕事で“Web2.0”の課題の調査にほんの少しだけ関わっていたこともあって、情報の受け手がそのまま送り手ともなる双方向的なネットの特質をテレビがどのような形で利用できるのかを考えたことがある。
現在もNHK技研の研究分野では、「インターネット活用技術」が重点項目になっていて、インターネットとの連携による“新しいテレビ体験”を提案している。たとえば、ネットによる同時配信やVODを放送と統合することで視聴時間や環境の制約を取り払い様々な条件の違いを問わずに番組を楽しむとか、番組情報や関連コンテンツを視聴者の関心に合わせて提供し日常生活に新たな気づきを生み出すことで行動を促すようなサービスを目指しているという。
しかし、その背景には技術の“進歩”により“利便性”を上げることが生活をより“豊か”にするという一種の幻想がありはしないだろうか。「ユビキタス」という言葉がある。いつでもどこでも必要な情報が得られるようなネットワーク世界を呼ぶ。元々は神の「遍在」から生まれた言葉なので日本ならさしづめ大日如来だ。つまり、動画を含む様々な情報が「遍在」することを視聴者は求めているということなのだろう。それを実現するための次世代通信の進展もすさまじい。現在標準化が進められている5Gの開発根拠は4Gの1000倍のトラフィック量が必要だと“推測”しているからだ。高速・大容量つまり量的拡大が主な理由だが、おそらくそこには、何らかの臨場感や「人工知能」が付加された高度な映像サービスの実現が想定されているのに違いない。
ただ、技術的に実現できることが受け入れられ浸透するかはまだわからない。ひとつには、その製品展開を支えるだけの経済成長が今後も望めるのかという単純な疑問だ。当面の目標は2020年の東京五輪で(フランス検察によるIOC委員への訴追でどうなるかはわからないが…)、開催されればネットゲームなど関連コンテンツで市場が生み出せると踏んでいるのかもしれない。そこにどれだけの“双方向性”が残っているかはわからないが…。
その昔、「ネットワークベイビー」という単発ドラマの制作に参加したことがある。幼い娘を失った過去を持つ母親が、異動した部署で開発中のネットゲームにテスターとして参加したため、その隠しキャラに娘を投影してしまい、祝えなかった誕生日のために開設日直前のデータ消去を阻止するというあらすじだ。その中には子育てを疑似的に再体験した母親の身体から母乳が自然に出るような設定もある。心を病んだ狂気のなせる技なのか、身体性の復権なのか。いずれにしても、疑似情報に囲まれた世界を戯画化した一つの例なのだが、そこには自分の娘という具体的な交感の記憶がまだあった。それでは、身体に刻まれた記憶と関係ない膨大な感覚情報に日々囲まれる環境に置かれたら、一体どのように精神的な影響を受けることになるだろうかと考えてしまう。
この数ヶ月、意識的に情報への無作為な接触を控えている。つまり、できるだけ芋づる式に関心をつなぐようにすることが多い。元々テレビは見ない方だが、ネットからの情報受容も以前より減った。その分、物語に回帰することが多くなった。「下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ)自分なりの方法が少しずつわかってきたような気がする。
日本を知るということ ― 2016年06月12日 11:51

多分初めてかもしれない。京王井の頭線の浜田山という駅で降りた。そこから歩いて10分ほどの場所に都立高校がある。“高校”の敷地に足を踏み入れるのも卒業して以来だ。都立杉並総合高校。そういえば私の母校の隣にも神奈川県立の総合高校がある。多様なカリキュラムの単位制高校として注目を集めたが、こうした総合高校が今は全国各地で運営されているようで、昨日訪ねたのもそんな高校の一つだ。神田川の上流域だが、近くには緑に囲まれた公園も多数あってうらやましい環境といえる。
少し前に、登録している国際文化フォーラムのメールマガジンで、高校教育関係者向けに毛丹青氏の講演があると知って、門外漢でもオブザーバーで参加できるかと問い合わせたら構わないということだったので、例によって“無料”の二文字に惹かれて聴きに行った。毛丹青氏は神戸国際大学教授、というより中国で刊行されている日本文化の情報誌「知日」の元主筆として有名な方だ。
「知日」は2011年1月に創刊され既に34号を数えるが、雑誌ではなくムック(Mook)、つまり書籍の扱いだ。民営の出版社に勤めていた蘇静氏が中国での奈良美智の画集刊行をきっかけにして、話題が尽きない日本文化の諸相を紹介する定期刊行誌を企画したところから始まった。当時、普及し始めた中国版ツイッターの「微博」上で、様々な日本に関する情報を発信したことも潜在的な需要を掘り起こしたようで、「猫」や「漫画」など10万部を超えたテーマもある。毎号変化のあるデザインはADの馬仕睿氏が務める。昨年1月に25号までの概要をまとめた日本語版が出た時、日本でも“一時的”には注目された。
ただ、情報消費に長けている日本人にとっては、特別に強い印象を与えるところにまで至らなかったと見え、その後話題に登ることは少なくなった。しかし、中国ではその後も刊行は続いているし、インターネット上のコンテンツには多数のフォロワーが付いている。“爆買い”観光ではない日本文化を知るための来日に先立って、体系的な情報を入手する有力な手段になっていることは間違いない。こうした“目に見える”表層の変化を、毛氏は海面上の荒波に例えていて、それは海中に広く散らばった無意識となり、深海で“目に見えない”深層の変化を生み出すものになっていると述べた。
そうして、中国の若年層が日本に強い関心を持ちつつあることに反比例して、日本の同世代が中国にあまり関心を持たない状況はどうなのだろうかという懸念を示された。中国では「知日」に続き「知中」が出ている。必ずしも対照文化を知るという動きではないようだが、少なくとも外を学ぶことが内を見直すきっかけにはなった。毛氏はその後、中国からの留学生の日本文化体験に関わりながら、文化消費と“共生”への研究を進め「在日本」という新しいMookを出している。その日本語版が近日中に出るという。
さて、「知日」のテーマの一つに「礼儀」があった。その特集の表題は「日本人に礼儀を学ぶ」というものだ。“日本人に”には強い反対意見もあったそうだが若き編集長が断固として反対し残ったそうだ。自己陶酔ではない自然な態度は元々言葉にはならない。“おもてなし”の5文字を口に出さないのが本来の日本文化ではないのかということだった。近頃は「新しい判断」という5文字が流行っているようだが…。
条件反射のような狂騒 ― 2016年06月18日 00:55
舛添都知事が辞職した。今講読している新聞も同様だがマスメディアによるバッシングともいえる過熱報道は波が引くように消えた。あれはいったい何だったのだろう。
公人としての節度を超えた行動であることに疑問の余地は無いが、それにしてもこの1週間あまりはニュースが奏でる“狂騒曲”に辟易していた。異常だと思う。家族が録画した紀行番組を観る際に、僅かに映るその時放送されている情報番組から聞こえるコメントだけでも、それが“まなじり”を決した発言なのだろうことは容易に推測できた。一種の精神疾患が“攻撃心”を向けるべき相手を見つけたかのようだ。
元々、騒音がきらいだということもある。大型の家電店や古書店の店内放送、交通機関の車内放送はもちろんだが、最近は街の小さな書店まで必要のない音楽を流している。耳栓を常備してその都度、精神の安寧を保たなければならない。テレビを観なくなった原因の一つには過剰なBGMもある。
話が脱線した。前に戻す。舛添氏にあまり好感はない。それでも東京五輪の準備にあたっては、当初の“コンパクト”五輪(死語になったか?)という“お題目”を旗印に、無計画な五輪組織委員会や文科省を相手にして、ある程度は都予算の運用を慎重に考えていた節がある。
その上で、これまでの自身個人に関わる驕慢な浪費癖が無くなるのであれば、より一層都予算の使途に注意深くにもなった可能性があったかもしれない。政治家を育てる為の勉強代と考えれば安くつくと言ったら非難の声を浴びるだろうが…。
都知事選で膨大な費用を捻出しなければならなくなり、青天井になりそうな五輪予算に歯止めどころか大枚注ぎ込むような知事が選ばれでもしたら、この先一体どうなるのだろうかと隣県に住む一人としても憂慮に堪えない。
昨日、横浜国大で昨今の文系学部解体に関する議論が行われたのを門外漢として聞いてきたのだが、リベラルアーツが衰退していく社会の一面をこの1週間のメディア報道はとても良く象徴しているように見える。
遠回りした浪曲との出会い ― 2016年06月23日 23:59
一昨日、東京の荏原中延を訪ねました。東急池上線は何度か乗っていますがこの駅に降りたのは初めてです。駅前は南北に商店街が延びていかにも下町風ですが、都心に近いせいか昔ながらの東京の雰囲気も残っているように感じます。駅を降りて北へ向かい徒歩4分ぐらいのところにある「隣町珈琲」という喫茶店で開かれたあるイベントに参加してきました。
皆さんは浪曲を聴いたことがあるでしょうか。“浪花節”とも呼ばれる語りの芸能です。その昔、父親がカセットテープで良く聴いていたのが広沢虎造という浪曲師の「石松三十石船」。「馬鹿は死ななぁきゃなおらない」という有名な台詞が出てくる話ですが、独特のだみ声に馴染めなかったことと、父親そのものへの反発心から今に至るまで伝統芸能の中で私が最も関心を遠ざけてきたものの一つです。
その浪曲を定員20名の小さな喫茶店で聴きました。語りは玉川奈々福さんという女性浪曲師。様々なジャンルの芸能者とのコラボレーションや企画プロデュースも多い実力者です。脇で三味線を弾く曲師は斯界随一とも呼ばれる名手沢村豊子師匠。浪曲の曲師は舞台の裏に隠れていたりすることも多いようですが、この二人の場合はお互いがすぐ隣にいて、語りと掛け声が響き合うような濃密なコミュニケーションが成り立っていました。そのことにまず驚かされました。そしてすぐに、あぁこれはパンソリの歌い手と鼓手に似ているなとも感じました。
奈々福さんの軽妙な進行で客席からの掛け声も練習し、さて聴いた演目はというと古典と新作の二席。奈々福さんが一番最初に師匠から習ったという「陸奥間違い」、そして豊子師匠との関わりを語る新作の「豊子と奈々福の浪花節更紗」。笑いの絶えない1時間30分でした。
ところで、こうした放浪から生まれた芸能には、市井に生きる人々が権威に対する揶揄を込めたメッセージがどこかにあるような気がします。何かにつけ大義名分で“管理”・“強制”しようとする輩がはびこる前に、放浪芸人の魂を市民の側で盛り上げたいと今痛切に思います。