日本を知るということ2016年06月12日 11:51


 多分初めてかもしれない。京王井の頭線の浜田山という駅で降りた。そこから歩いて10分ほどの場所に都立高校がある。“高校”の敷地に足を踏み入れるのも卒業して以来だ。都立杉並総合高校。そういえば私の母校の隣にも神奈川県立の総合高校がある。多様なカリキュラムの単位制高校として注目を集めたが、こうした総合高校が今は全国各地で運営されているようで、昨日訪ねたのもそんな高校の一つだ。神田川の上流域だが、近くには緑に囲まれた公園も多数あってうらやましい環境といえる。

 少し前に、登録している国際文化フォーラムのメールマガジンで、高校教育関係者向けに毛丹青氏の講演があると知って、門外漢でもオブザーバーで参加できるかと問い合わせたら構わないということだったので、例によって“無料”の二文字に惹かれて聴きに行った。毛丹青氏は神戸国際大学教授、というより中国で刊行されている日本文化の情報誌「知日」の元主筆として有名な方だ。

 「知日」は2011年1月に創刊され既に34号を数えるが、雑誌ではなくムック(Mook)、つまり書籍の扱いだ。民営の出版社に勤めていた蘇静氏が中国での奈良美智の画集刊行をきっかけにして、話題が尽きない日本文化の諸相を紹介する定期刊行誌を企画したところから始まった。当時、普及し始めた中国版ツイッターの「微博」上で、様々な日本に関する情報を発信したことも潜在的な需要を掘り起こしたようで、「猫」や「漫画」など10万部を超えたテーマもある。毎号変化のあるデザインはADの馬仕睿氏が務める。昨年1月に25号までの概要をまとめた日本語版が出た時、日本でも“一時的”には注目された。

 ただ、情報消費に長けている日本人にとっては、特別に強い印象を与えるところにまで至らなかったと見え、その後話題に登ることは少なくなった。しかし、中国ではその後も刊行は続いているし、インターネット上のコンテンツには多数のフォロワーが付いている。“爆買い”観光ではない日本文化を知るための来日に先立って、体系的な情報を入手する有力な手段になっていることは間違いない。こうした“目に見える”表層の変化を、毛氏は海面上の荒波に例えていて、それは海中に広く散らばった無意識となり、深海で“目に見えない”深層の変化を生み出すものになっていると述べた。

 そうして、中国の若年層が日本に強い関心を持ちつつあることに反比例して、日本の同世代が中国にあまり関心を持たない状況はどうなのだろうかという懸念を示された。中国では「知日」に続き「知中」が出ている。必ずしも対照文化を知るという動きではないようだが、少なくとも外を学ぶことが内を見直すきっかけにはなった。毛氏はその後、中国からの留学生の日本文化体験に関わりながら、文化消費と“共生”への研究を進め「在日本」という新しいMookを出している。その日本語版が近日中に出るという。

 さて、「知日」のテーマの一つに「礼儀」があった。その特集の表題は「日本人に礼儀を学ぶ」というものだ。“日本人に”には強い反対意見もあったそうだが若き編集長が断固として反対し残ったそうだ。自己陶酔ではない自然な態度は元々言葉にはならない。“おもてなし”の5文字を口に出さないのが本来の日本文化ではないのかということだった。近頃は「新しい判断」という5文字が流行っているようだが…。

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