復曲能のワークショップ ― 2023年08月12日 20:52
引き続きコロナ感染は少しずつ拡がっているように見えますが、電車の中でマスクをしている人は3割程度でしょうか。ほぼ3週間ぶりに都心へ出かけた先は、前回同様、代々木上原にある能舞台。酷暑対策で午前中に行われた講座は、来月再演を予定している“復曲”能『不逢森(あわでのもり)』の事前ワークショップです。
現在演じられる能の演目は200曲程度ですが、演じられなくなったものを含めると膨大な数になります。その中で特徴的なものが、最初にワキが訪ねた場所で主人公の仮の姿に出会い、後から本当の姿(主に霊)になって現れる複式夢幻能です。能楽の初期に生まれたこの形式は、能という演劇が持つ慰霊の一側面を表現する上で革新的であり、今に伝わる名曲の中にも数多く見られます。それは、おそらく同形式で作られた膨大な演目の中でもひときわ完成度の高い作品であったことで再演が繰り返されてきた結果でしょう。
しかし、長く演じてこられなかった演目の中にも数々の良作があります。各流派に伝わる膨大な謡本の中には、芸術性の高いある意味“純化”したような作品とは少し違う、その時代の雰囲気を豊かに醸し出すような作品が埋もれています。そうした演目の再演を目指している能楽師たちの集まりが、今回のイベントを主催した「復曲能を観る会」です。“観る会”といってもメンバーは見所の観客ではなく、上演されなくなってしまった演目から価値あるものを選び出し、新たな構成・演出を加えて新しい時代に合わせて再演を行っています。
今までは、湘南地域に伝わる曽我物語を題材にした演目が復曲されてきましたが、今回の舞台は愛知県の西部、清洲に近い萱津(かやつ)神社の周辺です。伊勢湾に流れ込む河川の一つ新川の支流に面し、旧鎌倉街道の宿場でもあった萱津には、日本武尊の東征から中世の往還(東北<>関東・東北)にまつわる“別離”を詠んだ「阿波手の杜(森)」という歌枕があり、その名を冠した能の演目になりました。能「隅田川」を彷彿とさせる親子の死別をテーマに、中国の故事に因んだ“反魂香”が登場します。後世、浄瑠璃や歌舞伎でも取り上げられた“反魂香”は、それを焚くことで死者の姿を甦らせます。
能『不逢森』は、長旅と父親に逢えない心痛で突然死してしまう娘をシテとして、商人(父親)や宿の主人と家人、寺僧など多彩な人物が登場する見どころが多い演目です。名古屋での初演ではワキが商人だったとのことですが、再演では後から出てくる寺僧をワキとして娘の霊(シテ)が呼び出されるという仕掛けです。古典として長く演じ続けられてきた演目ではこのようなことはありませんが、新しく復曲されたばかりのものだけに上演する毎に演出の検討が深まってゆくという醍醐味を感じます。
なかなか観る機会のない演目だけに、関心のある方は是非「復曲能を観る会」で検索してみて下さい。公演を支えるクラウドファンディングも実施中です。
現在演じられる能の演目は200曲程度ですが、演じられなくなったものを含めると膨大な数になります。その中で特徴的なものが、最初にワキが訪ねた場所で主人公の仮の姿に出会い、後から本当の姿(主に霊)になって現れる複式夢幻能です。能楽の初期に生まれたこの形式は、能という演劇が持つ慰霊の一側面を表現する上で革新的であり、今に伝わる名曲の中にも数多く見られます。それは、おそらく同形式で作られた膨大な演目の中でもひときわ完成度の高い作品であったことで再演が繰り返されてきた結果でしょう。
しかし、長く演じてこられなかった演目の中にも数々の良作があります。各流派に伝わる膨大な謡本の中には、芸術性の高いある意味“純化”したような作品とは少し違う、その時代の雰囲気を豊かに醸し出すような作品が埋もれています。そうした演目の再演を目指している能楽師たちの集まりが、今回のイベントを主催した「復曲能を観る会」です。“観る会”といってもメンバーは見所の観客ではなく、上演されなくなってしまった演目から価値あるものを選び出し、新たな構成・演出を加えて新しい時代に合わせて再演を行っています。
今までは、湘南地域に伝わる曽我物語を題材にした演目が復曲されてきましたが、今回の舞台は愛知県の西部、清洲に近い萱津(かやつ)神社の周辺です。伊勢湾に流れ込む河川の一つ新川の支流に面し、旧鎌倉街道の宿場でもあった萱津には、日本武尊の東征から中世の往還(東北<>関東・東北)にまつわる“別離”を詠んだ「阿波手の杜(森)」という歌枕があり、その名を冠した能の演目になりました。能「隅田川」を彷彿とさせる親子の死別をテーマに、中国の故事に因んだ“反魂香”が登場します。後世、浄瑠璃や歌舞伎でも取り上げられた“反魂香”は、それを焚くことで死者の姿を甦らせます。
能『不逢森』は、長旅と父親に逢えない心痛で突然死してしまう娘をシテとして、商人(父親)や宿の主人と家人、寺僧など多彩な人物が登場する見どころが多い演目です。名古屋での初演ではワキが商人だったとのことですが、再演では後から出てくる寺僧をワキとして娘の霊(シテ)が呼び出されるという仕掛けです。古典として長く演じ続けられてきた演目ではこのようなことはありませんが、新しく復曲されたばかりのものだけに上演する毎に演出の検討が深まってゆくという醍醐味を感じます。
なかなか観る機会のない演目だけに、関心のある方は是非「復曲能を観る会」で検索してみて下さい。公演を支えるクラウドファンディングも実施中です。