とても“当て”になる本屋の存在 ― 2024年11月16日 17:23

大倉山の駅近くにあった天一書房が撤退するだいぶ前から通い続けている妙蓮寺の本屋さん。文中のクラウドファンディングが始まる少し前に、近くの古民家で開かれた「本屋Bar」というイベントがきっかけで知りました。その後、改装して開いた「本屋・生活綴方」へも時々足を運びながら、“確かな”選書を実感しています。たとえば、『いつかたこぶねになる日』(小津夜景、素粒社)は全くの初見でした。他にも『黒山』(キム・フン、CUON)、『諏訪式』(小倉美恵子、亜紀書房)、『さずきもんたちの唄』(萱森直子、左右社)、『うたとかたりの人間学』(鵜野祐介、青土社)などがあります。書評も読まず、ただ書棚を巡るだけで良いものに出会える確率はそう高くはないのです。その点、この小さな本屋はとても“当て”になります。一度足を運んでみて下さい。
「問い」を立てる“無知”の自覚 ― 2024年11月17日 17:25
特定の番組を録画する以外ほとんど接しないテレビや、時々関心が向いた音楽動画しか見ないYoutube、10数人しかフォローしない旧Twitterのタイムラインなど、新聞と読書を除けば日常的に受信する情報はごくわずかです。それにも関わらず、この世の中がディストピア小説のような社会に一歩一歩近づいている気配を感じることが多くなりました。
生成AIよりひどいフェイク画像、“リポスト”の水増し、特定アカウントへの誹謗・中傷・攻撃、根拠のない陰謀論への加担・盲信。口先ばかりの虚妄の詭弁・空語など、朝三暮四で丸め込むサルの集団を相手にするようなネット上の発信は、倫理の底が抜け、利権と中抜きにまみれたこの国に今最もふさわしい風景の一つでしょう。そういえば、“コスパ&タイパ”はそれらの商売を見事に象徴するキャッチフレーズですね。
そんな中、日本語を学習しようと訪ねてくる外国人を支援する週1回の日本語教室がなぜか一番真っ当な世界に見えてくることを禁じ得ません。先々週、担当4人目となる台湾出身の学習者を迎え、格助詞の活用を示しながら会話を広げる取り組みに新たに参加してもらったら、とても面白かったと“受講”の感想が届きました。人の名前がすぐ出てこなくなり、覚える和歌より忘れる漢字の方が圧倒的に多くなっている今でも、自分なりに日本語を伝える工夫が必要だと日々考える次第です。
言葉に正解はありません。個人の思量で物事が理解できる範囲もごくわずかです。だからこそ自らが「問い」を立て、自身が“無知”であることに自覚的になる時間が必要なのです。そのことを、私は映画と読書、そして伝統芸能から“学び”続けています。
生成AIよりひどいフェイク画像、“リポスト”の水増し、特定アカウントへの誹謗・中傷・攻撃、根拠のない陰謀論への加担・盲信。口先ばかりの虚妄の詭弁・空語など、朝三暮四で丸め込むサルの集団を相手にするようなネット上の発信は、倫理の底が抜け、利権と中抜きにまみれたこの国に今最もふさわしい風景の一つでしょう。そういえば、“コスパ&タイパ”はそれらの商売を見事に象徴するキャッチフレーズですね。
そんな中、日本語を学習しようと訪ねてくる外国人を支援する週1回の日本語教室がなぜか一番真っ当な世界に見えてくることを禁じ得ません。先々週、担当4人目となる台湾出身の学習者を迎え、格助詞の活用を示しながら会話を広げる取り組みに新たに参加してもらったら、とても面白かったと“受講”の感想が届きました。人の名前がすぐ出てこなくなり、覚える和歌より忘れる漢字の方が圧倒的に多くなっている今でも、自分なりに日本語を伝える工夫が必要だと日々考える次第です。
言葉に正解はありません。個人の思量で物事が理解できる範囲もごくわずかです。だからこそ自らが「問い」を立て、自身が“無知”であることに自覚的になる時間が必要なのです。そのことを、私は映画と読書、そして伝統芸能から“学び”続けています。
海を渡って伝えた人を語る催し ― 2024年11月29日 17:28

お寺は一休みして、今回は繁華街。東京は銀座六丁目にある複合商業施設「GINZA SIX」の地下3階にある観世能楽堂を初めて訪ねました。人混みが苦手で、銀座は久しく遠ざかっており、直近は5年前の森田画廊か朝日ホールぐらいでしょうか。一応、銀座の周辺ですね。^^;
有楽シネマがあった頃は、SONYビルなども併せて良く通ったものですが昭和は遠くなりにけりです。混雑する銀座線の構内から一旦外に出てみたものの、通りも外国人観光客でごった返しているので、慌ててあづま通りの地下から向かうことにしました。こちらは極端に通行人が減ったせいか、100mほど奥に見える「GINZA SIX」から届く光が何やら少し神々しく見えます。そのまま地下2階にアクセスできるということで、上階にある吹き抜け構造も見ぬまま、さらに下の能楽堂へ向かいました。
この日の公演は能・狂言ではなく日中の伝統芸能が共同で行うものでした。演目は『東渡』。日本へ正式な戒律を伝えてもらう為に時の天皇が招聘した中国の高僧鑑真和上の物語です。何度も渡海に失敗し失明もしますが、六度目にしてようやく成功し日本へ渡って受戒を広めます。その最後の航海に先立つ中国黄泗浦(現在の張家港市)での別れを序章とし、出立前夜、渡海、日本での事績がそれぞれ章立てされ、最初と最後が蘇州評弾と浪曲が単独で、真ん中を蘇州評弾と狂言のコラボレーションが演じる構成です。舞台のはずれ、ワキ柱の横に翻訳字幕を表示するスクリーンが仮設され、中国風の音楽が全体の進行を表して行きます。
評弾とは中国にたくさんある語り芸の一種です。舞台中央には三味線と琵琶を手にする二人の演者がいて、それぞれ一人語り風に話を進めたり、時にかけ合いもありますが、途中から短い寸劇を演じる数名も橋掛かりから登場します。浪曲でいう「節と啖呵」にあたる部分があり、“節”の曲調は全体的に中国の労農歌のような歌い上げるものが多く、繰り返しながら高まってゆく感じです。
その評弾に、狂言の台詞がかぶるのが渡海の章です。嵐に見舞われて難儀する鑑真一行の有様を見た「海亀と小魚」が登場します。奥津健太郎・健一郎さんが演じます。かぶりものを付けた二人の演者は竜王の使いであることを明かし、船から落ちてしまった仏舎利を届けてくれるのです。狂言の台詞は伝統的な古式に拠った言葉で構成されますが、評弾と渾然一体とした雰囲気を見事に創り出していて驚きました。
最後の章は、純粋に日本の浪曲です。舞台上に設えられたテーブルと上手の相三味線。くすぐりこそありませんが、前章からの流れを引き継いで、鑑真和上の日本での事績を語ります。当代の最も優れた語り手の一人である奈々福さんの熱演は、日中交流の演目の掉尾を飾るに相応しいものでした。
この新作は、それぞれの演者によって作劇されたものであることが何より素晴らしいところで、ここに至るまでの準備に大いなる敬意を表します。パンフレット最後の「中国曲芸とは」という一文には、故永六輔・小沢昭一両氏の名前もあって、出来映えにさぞ満足されたであろうと思い及びました。
有楽シネマがあった頃は、SONYビルなども併せて良く通ったものですが昭和は遠くなりにけりです。混雑する銀座線の構内から一旦外に出てみたものの、通りも外国人観光客でごった返しているので、慌ててあづま通りの地下から向かうことにしました。こちらは極端に通行人が減ったせいか、100mほど奥に見える「GINZA SIX」から届く光が何やら少し神々しく見えます。そのまま地下2階にアクセスできるということで、上階にある吹き抜け構造も見ぬまま、さらに下の能楽堂へ向かいました。
この日の公演は能・狂言ではなく日中の伝統芸能が共同で行うものでした。演目は『東渡』。日本へ正式な戒律を伝えてもらう為に時の天皇が招聘した中国の高僧鑑真和上の物語です。何度も渡海に失敗し失明もしますが、六度目にしてようやく成功し日本へ渡って受戒を広めます。その最後の航海に先立つ中国黄泗浦(現在の張家港市)での別れを序章とし、出立前夜、渡海、日本での事績がそれぞれ章立てされ、最初と最後が蘇州評弾と浪曲が単独で、真ん中を蘇州評弾と狂言のコラボレーションが演じる構成です。舞台のはずれ、ワキ柱の横に翻訳字幕を表示するスクリーンが仮設され、中国風の音楽が全体の進行を表して行きます。
評弾とは中国にたくさんある語り芸の一種です。舞台中央には三味線と琵琶を手にする二人の演者がいて、それぞれ一人語り風に話を進めたり、時にかけ合いもありますが、途中から短い寸劇を演じる数名も橋掛かりから登場します。浪曲でいう「節と啖呵」にあたる部分があり、“節”の曲調は全体的に中国の労農歌のような歌い上げるものが多く、繰り返しながら高まってゆく感じです。
その評弾に、狂言の台詞がかぶるのが渡海の章です。嵐に見舞われて難儀する鑑真一行の有様を見た「海亀と小魚」が登場します。奥津健太郎・健一郎さんが演じます。かぶりものを付けた二人の演者は竜王の使いであることを明かし、船から落ちてしまった仏舎利を届けてくれるのです。狂言の台詞は伝統的な古式に拠った言葉で構成されますが、評弾と渾然一体とした雰囲気を見事に創り出していて驚きました。
最後の章は、純粋に日本の浪曲です。舞台上に設えられたテーブルと上手の相三味線。くすぐりこそありませんが、前章からの流れを引き継いで、鑑真和上の日本での事績を語ります。当代の最も優れた語り手の一人である奈々福さんの熱演は、日中交流の演目の掉尾を飾るに相応しいものでした。
この新作は、それぞれの演者によって作劇されたものであることが何より素晴らしいところで、ここに至るまでの準備に大いなる敬意を表します。パンフレット最後の「中国曲芸とは」という一文には、故永六輔・小沢昭一両氏の名前もあって、出来映えにさぞ満足されたであろうと思い及びました。