「問い」を立てる“無知”の自覚 ― 2024年11月17日 17:25
特定の番組を録画する以外ほとんど接しないテレビや、時々関心が向いた音楽動画しか見ないYoutube、10数人しかフォローしない旧Twitterのタイムラインなど、新聞と読書を除けば日常的に受信する情報はごくわずかです。それにも関わらず、この世の中がディストピア小説のような社会に一歩一歩近づいている気配を感じることが多くなりました。
生成AIよりひどいフェイク画像、“リポスト”の水増し、特定アカウントへの誹謗・中傷・攻撃、根拠のない陰謀論への加担・盲信。口先ばかりの虚妄の詭弁・空語など、朝三暮四で丸め込むサルの集団を相手にするようなネット上の発信は、倫理の底が抜け、利権と中抜きにまみれたこの国に今最もふさわしい風景の一つでしょう。そういえば、“コスパ&タイパ”はそれらの商売を見事に象徴するキャッチフレーズですね。
そんな中、日本語を学習しようと訪ねてくる外国人を支援する週1回の日本語教室がなぜか一番真っ当な世界に見えてくることを禁じ得ません。先々週、担当4人目となる台湾出身の学習者を迎え、格助詞の活用を示しながら会話を広げる取り組みに新たに参加してもらったら、とても面白かったと“受講”の感想が届きました。人の名前がすぐ出てこなくなり、覚える和歌より忘れる漢字の方が圧倒的に多くなっている今でも、自分なりに日本語を伝える工夫が必要だと日々考える次第です。
言葉に正解はありません。個人の思量で物事が理解できる範囲もごくわずかです。だからこそ自らが「問い」を立て、自身が“無知”であることに自覚的になる時間が必要なのです。そのことを、私は映画と読書、そして伝統芸能から“学び”続けています。
生成AIよりひどいフェイク画像、“リポスト”の水増し、特定アカウントへの誹謗・中傷・攻撃、根拠のない陰謀論への加担・盲信。口先ばかりの虚妄の詭弁・空語など、朝三暮四で丸め込むサルの集団を相手にするようなネット上の発信は、倫理の底が抜け、利権と中抜きにまみれたこの国に今最もふさわしい風景の一つでしょう。そういえば、“コスパ&タイパ”はそれらの商売を見事に象徴するキャッチフレーズですね。
そんな中、日本語を学習しようと訪ねてくる外国人を支援する週1回の日本語教室がなぜか一番真っ当な世界に見えてくることを禁じ得ません。先々週、担当4人目となる台湾出身の学習者を迎え、格助詞の活用を示しながら会話を広げる取り組みに新たに参加してもらったら、とても面白かったと“受講”の感想が届きました。人の名前がすぐ出てこなくなり、覚える和歌より忘れる漢字の方が圧倒的に多くなっている今でも、自分なりに日本語を伝える工夫が必要だと日々考える次第です。
言葉に正解はありません。個人の思量で物事が理解できる範囲もごくわずかです。だからこそ自らが「問い」を立て、自身が“無知”であることに自覚的になる時間が必要なのです。そのことを、私は映画と読書、そして伝統芸能から“学び”続けています。