人間としての行いを問い続けてきた人々2024年10月15日 16:58

“核共有”も視野に入れる新しい日米安保の体制を検討する石破政権の発足と合わせたかのように、「日本被団協」へノーベル平和賞が授与されるという発表がありました。
 1955年、前年のビキニ環礁水爆実験で被曝した第五福竜丸の事件もあって全国で3000万を超える原水爆禁止の署名が集まりました。それを受けるように開かれた世界大会で、被爆者代表として発言し、後に政党の思惑で分裂した運動に幻滅しながらも、広島を訪れる子どもたちに向けて被爆体験を語り続けた高橋昭博さんという人がいます。
 翌年に発足した広島県原爆被害者協議会に参加し、後に拡がった全国組織「日本被団協」でも活動する一方、広島市の広報課に職員として務め、79年からの4年間は広島平和記念資料館の館長でした。私が20代の後半に初めて訪ねた広島でお会いして以来、手紙の遣り取りも含め、いつも“草の根”という言葉を体現する生き方をしていた方だと敬っていました。
 「被団協」の運動はいつもそうした“草の根”の人たちに支えられてきたものです。そこには、あの悲劇から残った者として、一人でも続けるという強い意志が感じ取れます。今回の受賞を受けて代表委員の箕牧さんが「ガザでの紛争で傷ついた子どもたちと、原爆孤児の姿が重なる」と語ったことがとても印象的でした。政治問題以前の、人間としての行いそのものを問い続けている人だからこそのメッセージだったのでしょう。