やさしい記憶と記録2024年05月11日 13:37

新横浜駅に東急・相鉄が乗り入れてから1年。なかなか使う機会がありませんでしたが、今日初めて、泉区に行く必要があり、新横浜まで歩き、相鉄いずみ野線のいずみ中央駅まで往復してきました。
 用事は、新作のドキュメンタリー映画を観るためです。先日の鑑賞で火が付いたわけではなく、前から予定していたもので、伊勢真一監督の最新作『大好き』の完成上映会が泉公会堂で開催されたのです。
 伊勢さんが自分の姪である奈緒ちゃんを撮り始めたのは、命に関わる重い病気の娘を取り巻く家族の記録を残したいという一念でしたが、天の助けか奈緒ちゃんは無事に成長し、二十歳になるまでの12年間が映画『奈緒ちゃん』に結実します。その後、お母さんとその仲間が作った作業所の日々を描く『ぴぐれっと』、グループホームでの自立を描いた『ありがとう』、家族の紐帯となっている奈緒ちゃんの『やさしくなあに』が続き、昨年50歳を迎えた奈緒ちゃんと家族の“記憶”をまとめた新作につながりました。
 膨大な映像記録には、多くの人の“記憶”が入っていて、それはこの映画を初めて観る人にも伝わるようです。地元泉区での公開とあって、会場には奈緒ちゃんとその家族に関係する人々も多くいたようで、その想いが集まったせいなのか、私には、舞台上のスクリーンから何かとても暖かい風が吹いてくるような気がしてなりませんでした。
 企画して撮り始めたものではなかったにも関わらず、42年間にわたる定点観測のような撮影は、日常の細部まで描き出すことにもなりました。そこは、ありふれているようで、しかしどこにもない“言葉”が生まれる場所にもなっています。「やさしくなあに」や「人生まだまだ」に込められた想いは、何にもしばられない真っ直ぐな感情が表れていて、疑わしい文句に溢れている世の中との対照の妙を示しているようです。
 一方、映像技術者であった私は、永い撮影期間によってしか生まれない記録媒体の変遷を強く感じていました。フィルムからテープ・ディスクへと変わったいった録画方法、そのことによって画質や画角が混在する映像の中に、過ぎてきた時代の“記憶”が甦ります。奈緒ちゃんシリーズが撮られた42年間にはそうした歴史もまたありました。映画に出てくるアルバムの写真にも確かにそれは反映しています。
 冒頭のタイトルバックに出てきた“桜”は、青空をバックに満開に咲いているものではなく少しうす暗いほどの画調でした。繰り返し出てくる“月”も同様で、さりげなく挿入される自然が、声高なものではなく、観る人に「やさしくなあに」と問いかけてくるように感じるのは、それもおぼろげな“記憶”から生まれたものだからでしょうか。