魂を呼び戻す復曲能2023年09月18日 21:21

先月、銕仙会の能楽教え方講座を受けに表参道へ行くため、久しぶりに電車を乗り換えた渋谷駅ですが、今日は能を観るために、反対のJR側へ出ました。ScrambleSquareとやらの入口は目新しく映りましたが、長いエスカレーターの先にあるJR南口周辺は未だに改装工事の最中で何か変な懐かしささえ覚えます。
 駅の周囲はそれほど変わりませんが、国道246号線を越える歩道橋は以前の倍ぐらいの幅に拡張されていました。向かう先は国道沿いのセルリアンタワー地下にある能楽堂。登ったり降りたりが続きます。
 さて、本日の演目は『不逢森(あわでのもり)』という復曲能。尾張名古屋に近い旧鎌倉街道の宿場町「萱津」に伝わる物語です。江戸初期ぐらいから上演されなくなったとされる演目ですが、故事にも歌われる土地に根付いた悲話を立体的に再構成した不思議な作品です。
 あらすじは次の通り。鎌倉の商人が京に上りますが旅程を過ぎても帰ってきません。心配した娘が会いに行こうと訪ねますが、尾張の宿で客死してしまいます。そのすぐ後、今度は父が宿を訪ねて娘の死を知り、遺骸との対面を望みますが、既に荼毘に付された後でした。嘆き悲しむ父親に娘を弔った僧が提案します。この日はちょうど8月15日の満月、大陸渡海して入手した反魂香で娘の霊を呼び覚ませるという話になりました。香台を前に僧が祈ると煙の中に娘の姿が現れますが、わずかな逢瀬にすがり付こうとする父を置いて、娘は露と消えてしまいます。
 復曲への比較的自由な解釈・演出もあり、昨年の名古屋初演とはシテツレとワキが役を交代しましたが、『隅田川』から構想されたとも思われる親子の逆縁がより強調されていたように思えます。冒頭、次第に続いてワキの名乗りが加えられ、その後にシテ(娘)が舞台に、シテツレ(父)が橋掛かりの端(揚げ幕のすぐ前)に立ち、時に同時に、時に一人ずつ詞章を語るのです。同じ角度で見所に向かってユニゾンで謡うところは見事な作劇になっていると感じました。
 アイ二人(宿主のオモアイと下女のアドアイ)が囃子方に続いて既に登場・着席していますが、客死する娘や、訪ね来た父との遣り取りも多く、いわゆる間狂言という枠に収まらない重要な登場人物として描かれます。特に、娘が事切れる瞬間に立ち会う場面は秀逸でした。
 宿に着いた時から娘の体調は悪く、挨拶もそこそこに奥の間へ通されますが、舞台に用意されている木枠の中に入ります。事切れた娘を残したまま白布がかけられた木枠から、物着(ものぎ)の一種のように着ていた小袖が取り出され遺骸として弔われます。後に木枠の中から後シテが登場する演出です。
 “あわで”の森に山居する僧が用意した反魂香は後見が舞台の階(きざはし)の目前に置いたので、正面席の見所からは目の前に煙が立ち上っているように思えます。僧は回り込んで見所に向かって念仏を唱えますが、その位置から捌(は)けることで、煙が見所から舞台奥の木枠に流れて行くように感じるのです。そして月夜の明かりの中、後シテが登場します。後シテの位置は木枠のすぐ近く、すなわち反魂香の薄煙を通して、木枠にかかった白布に映り出された3Dの写像のようにも見えました。だからでしょうか。姿を確かめた父親が香台と後シテの間の空間を必死に抱こうとしてもかないません。後に娘の小袖にすがりつこうとする場面もありますが、私はこの時の父の仕草に強い無念を感じました。
 再々演なども含め、この演目がより多くの人に届くことが期待されます。公演はDVD化される模様です。