戦時の衛生対策は? ― 2021年08月22日 19:02
太平洋戦争末期、武漢からマリアナ諸島へと移ったアメリカ軍の出撃拠点と日本本土の間にあって激戦が繰り広げられた硫黄島は、クリント・イーストウッドの映画作品などでも良く知られているが、3年半にわたる太平洋上の島嶼戦闘で、唯一アメリカ側の死傷者が日本側のそれを上回ったという。
島民を疎開させ、地下陣地を構築し、従来の水際作戦を大胆に変更した栗林中将の守戦方策が功を奏した結果、この戦いによる死傷者はアメリカ側約2万9千名に対し、日本側は2万1千名だった。
しかし、この死傷者の「内訳」は大きく異なる。日本側の死者は死傷者全体の95%だが、アメリカ側のそれは25%に満たない。それはなぜか。
アメリカ軍は最前線においても負傷者の後送を含む衛生対策を十分にシステム化していたからである。海岸近くの戦車揚陸艦内に野戦病院を造り、そこで処置できない負傷者は艦隊に守られた沖の病院船に運ぶ。そこでも処置が難しい場合は、テニアン諸島の陸上基地へ搬送した。それらの対策に“加えて”、血液配送センターも設置したという。
島民を疎開させ、地下陣地を構築し、従来の水際作戦を大胆に変更した栗林中将の守戦方策が功を奏した結果、この戦いによる死傷者はアメリカ側約2万9千名に対し、日本側は2万1千名だった。
しかし、この死傷者の「内訳」は大きく異なる。日本側の死者は死傷者全体の95%だが、アメリカ側のそれは25%に満たない。それはなぜか。
アメリカ軍は最前線においても負傷者の後送を含む衛生対策を十分にシステム化していたからである。海岸近くの戦車揚陸艦内に野戦病院を造り、そこで処置できない負傷者は艦隊に守られた沖の病院船に運ぶ。そこでも処置が難しい場合は、テニアン諸島の陸上基地へ搬送した。それらの対策に“加えて”、血液配送センターも設置したという。