浮つく言葉ばかりの五輪2021年08月02日 18:49

 今、この時にもコロナ禍の最前線で苦闘しているエッセンシャルワーカーに何も触れず、不公平なスポーツ大会の結果に一喜一憂しているメディアと、死者が続いても、もう当たり前のように受け入れているかに見える人々に根深い闇を感じる。先の大戦で死んだ300万人の戦没者も、おそらく当時でさえ、身の回りに該当しなければ、自然災害の被災者としか認識されていなかったのかもしれない。「一度決まったことは、個人的には反対であれ、粛々として従うのが日本人の行き方である」と戦犯も述べた。感染拡大が続く中、思考停止に陥った日本人はいったいどこへ行くのだろうか。

敬語による思想形成?2021年08月02日 18:51

今日は、1年半前に東京の芝・愛宕を案内した韓国青年訪日団の一員だった釜山の大学生と初めての日本語レッスン。オンラインなら海外在住の外国人とも簡単につながる時代を意識する。以前から、こちらが怪しげな韓国語のメールを送ると、とても丁寧な日本語のメールを返してくれる人だった。研修留学で秋に来日する予定を前にして、少し敬語の話を聞きたいということで学習支援を始めた。
 敬語。特に日本のそれは“場”にふさわしいことが重要だ。待遇コミュニケーションの相手や第三者との関係、ウチとソトの境界、媒体(対面・手紙・メール・Twitter・SNSなど)による違い。専用のことば。謙譲の程度など、日本人でもなかなか難しいが、そこは言語経験の幅がモノを言うところでもある。ところが、サービス業とはいえ、顧客を相手にすることなしに過ごした“虚業”をいくら積み重ねてもたかは知れている。しかも、生来の“なまいき”が簡単に直るわけもない。おくればせながら、いそいそと関連本を読み直してみる。
 最近は、就活用のWebコンテンツにもビジネスマナーの一環としてメールの書き方や敬語の使い方を解説する記事が多く載っている。本来なら学生を集めて公開セミナーなどを開くのだろうが、昨年来、そうした催しができなくなったこともあり、Web上を充実させているようだ。特に対象を“第二新卒”と掲げているところが充実しているのは、時代ということだろうか。
 「マニュアル敬語」と呼ばれるように、元々ある種の“形式”を伴って生み出された敬語は、その“形”からいかに逸脱しないかを気に掛けるものかと思う。それは、日本人の思想形成にも大きな影響を与えただろう。あらためて気づかされた。