ひとひとの展覧会 ― 2019年04月24日 12:17

その昔、東京都美術館で開催される「从(“ひとひと”)展」という展覧会を観に行ったことが何度かある。1974年に創立された从会は、その第8回のカタログ上に、「人を縦でなく横に並べて、从と称してきた。(中略)権威にひれふし、時代の証人である事を放棄した人々を私たちは画家と呼ばない。」というコンセプトを掲載している。実は、「从」の字は“従”の旧字“從”の旁(つくり)の上部と同じで、本来訓読みなら“したがう・したがえる”となるのだが、それを敢えて横に並んだ“まつろわぬ同志”であると見立てたところが字義の自由な解釈として面白い。
創立会員は中村正義・星野眞吾・山下菊二・斎藤真一・大島哲以・佐熊桂一郎・田島征三の7名。70年代後半、おそらくは本の挿絵で初めて知ることとなった田島征三さんを通じてある市民運動に参加していたことがあり、その延長線上で中村正義という故人の画家も知った。日展を脱会し日本美術の傍流を様々に歩んできた人で、川崎市麻生区の細山に遺族が管理している個人美術館もある。時々、展覧会の案内をいただきながら無沙汰をしていたが、先々週のこと、銀座と神保町で開かれる二つの展示会をハシゴしようと出かけることにした。
銀座の人波を避けて、都営浅草線の宝町駅から向かったのは森田画廊。スマホの地図で確認しながら、それらしき看板も出ていないビルの2階を訪ねる。今回はコレクターの所蔵品ということで、特別なテーマもなく、多様な作品群を比べてみることができて面白かった。今まであまり観たことがない夜の風景画には、自然の強さに対峙(たいじ)する画家の“姿”のようなものを感じた。後年は舞妓や顔・自画像など人物画を多く描いた人だが、静物や仏画が並んだ中に韋駄天を描いた一枚があった。大胆な色遣いにエネルギーの迸(ほとばし)りを感じながら、さらに回って観ていくと「韋駄天」の対角の隅に美術の関連本が置いてあった。所蔵品の一部だろうか。箱入りの大部の翻訳本が目に止まった。少し場違いにも思える「近代オリンピックの遺産」という元IOC会長ブランデージの著作である。何の気なしに箱から取り出してみたら驚いた。そこには先刻観たばかりの「韋駄天」が表紙を飾っていた。ブランデージが日本画をコレクションしていた縁なのか、画廊の主人にも聞き損ねたので事情は全くわからないままだが、興味が湧いている。
「わしたショップ」に寄って「さんぴん茶」を買い、都営三田線の日比谷まで歩く。次は神保町の檜画廊。すずらん通りの東京堂書店に寄る時には、いつも前を通り過ぎてしまうが、今日はこちらが目的地。前述した田島征三さんが絵を担当した新しい絵本『ちきゅうがわれた!』(ひだまり舎)の原画展である。著者は演劇音楽を数多く作っている国広和毅さんという人で、この話はインドのジャータカの一篇をモチーフにしたらしい。夢か現(うつつ)かわからない状態で右往左往する動物たちの様子は、聖書のノアの箱舟に整然と集まった動物ではなくて、奔流するエネルギーの塊(かたまり)のような生き物の豊穣さに満ちている。私が好きな『ほらいしころがおっこちたよ、ね、わすれようよ』の対極な作品と言えるかも知れないが、現在もその表現の多様さが失われていないことに、あらためて驚かされた。
創立会員は中村正義・星野眞吾・山下菊二・斎藤真一・大島哲以・佐熊桂一郎・田島征三の7名。70年代後半、おそらくは本の挿絵で初めて知ることとなった田島征三さんを通じてある市民運動に参加していたことがあり、その延長線上で中村正義という故人の画家も知った。日展を脱会し日本美術の傍流を様々に歩んできた人で、川崎市麻生区の細山に遺族が管理している個人美術館もある。時々、展覧会の案内をいただきながら無沙汰をしていたが、先々週のこと、銀座と神保町で開かれる二つの展示会をハシゴしようと出かけることにした。
銀座の人波を避けて、都営浅草線の宝町駅から向かったのは森田画廊。スマホの地図で確認しながら、それらしき看板も出ていないビルの2階を訪ねる。今回はコレクターの所蔵品ということで、特別なテーマもなく、多様な作品群を比べてみることができて面白かった。今まであまり観たことがない夜の風景画には、自然の強さに対峙(たいじ)する画家の“姿”のようなものを感じた。後年は舞妓や顔・自画像など人物画を多く描いた人だが、静物や仏画が並んだ中に韋駄天を描いた一枚があった。大胆な色遣いにエネルギーの迸(ほとばし)りを感じながら、さらに回って観ていくと「韋駄天」の対角の隅に美術の関連本が置いてあった。所蔵品の一部だろうか。箱入りの大部の翻訳本が目に止まった。少し場違いにも思える「近代オリンピックの遺産」という元IOC会長ブランデージの著作である。何の気なしに箱から取り出してみたら驚いた。そこには先刻観たばかりの「韋駄天」が表紙を飾っていた。ブランデージが日本画をコレクションしていた縁なのか、画廊の主人にも聞き損ねたので事情は全くわからないままだが、興味が湧いている。
「わしたショップ」に寄って「さんぴん茶」を買い、都営三田線の日比谷まで歩く。次は神保町の檜画廊。すずらん通りの東京堂書店に寄る時には、いつも前を通り過ぎてしまうが、今日はこちらが目的地。前述した田島征三さんが絵を担当した新しい絵本『ちきゅうがわれた!』(ひだまり舎)の原画展である。著者は演劇音楽を数多く作っている国広和毅さんという人で、この話はインドのジャータカの一篇をモチーフにしたらしい。夢か現(うつつ)かわからない状態で右往左往する動物たちの様子は、聖書のノアの箱舟に整然と集まった動物ではなくて、奔流するエネルギーの塊(かたまり)のような生き物の豊穣さに満ちている。私が好きな『ほらいしころがおっこちたよ、ね、わすれようよ』の対極な作品と言えるかも知れないが、現在もその表現の多様さが失われていないことに、あらためて驚かされた。