「花、香る歌」はひっそりと ― 2016年07月13日 23:39
情報を積極的には取り入れず、自分の中に何らかの動機が生まれるまではなかなか動かない性格ということもあり、気になっていた映画や芝居を見逃してしまうことが昔から良くある。
シネマート新宿でロードショー上映されていた映画「花、香る歌」もその一つで、気がついた時には終わっていた。それが、つい最近になって本物のパンソリを聴いたものだから、どこかでまだ上映しているのではと探したら下高井戸シネマでやっていた。単館系の映画館として随分前から名前だけは知っていたけれど訪ねたのは初めてのことだ。
駅から歩いてすぐの所にあるのに、7階建の1階が店舗になっている建物は、ごく普通のマンション風で、注意しないとそのまま通り過ぎてしまうような静かなたたずまいだった。中に映画館があるようにはとても見えない。おそらく、あらかじめ目当ての映画を調べて観に来る客がほとんどなのかもしれない。
主演のペ・スジは、K-POPの「miss A」というグループのメンバーだが、私がそれを知ったのは映画「建築学概論」を観た後のことで、低い声と清楚なイメージからは、激しいダンスパフォーマンスを繰り広げる歌手とは思えなかった。その後、ドラマ「ドリーム・ハイ」を観た時も小柄に見えるコ・ヘミ役が最初は彼女と結びつかなかった。そして、今度はパンソリの歌い手だという。若くして、なかなか異能の持ち主のように見える。
映画の内容は、韓国で初めて女性のソリックン(パンソリの歌い手)となったチン・チェソンと、その師匠でパンソリを体系化したシン・ジェヒョ、そして26代高宗の父興宣大院君の三人を巡る実話に基づく物語。韓国語の原題が、師弟愛の歌ともいえるシン・ジェヒョの「桃李花歌」なので、パンソリの中でも「春香伝」が良く似合うのだろう。以前、イム・グォンテク監督の「西便制」や「春香傳」を韓国文化院の映像資料室で観ていた頃が懐かしい。
そういえばエンドタイトルを観ていて気がついたのだが、過日に生のパンソリを聴かせていただいた安聖民さんがパンソリの字幕の監修をなさっていたようだ。
明後日まで。
路上の映画を路肩の映画館で? ― 2016年07月16日 20:48

“ローポジション”という言葉は映画の専門用語の一つで、撮影対象に対しカメラを低い位置に置いて撮影する技法のことです。下から仰ぐように撮る“ローアングル”とは微妙に違います。記念写真やスナップで膝を折って撮るのも、おそらく“ローポジション”かと思います。この専門用語そのものを名前にした映像グループが横浜にあって、事務所から近い横浜シネマリンという映画館で、メンバーを含む横浜を拠点にするドキュメンタリー作家の作品13本を集中上映するイベントが始まりました。
毎日違うテーマで構成した2本の作品上映と監督トークショーを行いますが、初日の今日は「路上」と題し「あしがらさん」と「ヨコハマメリー」という2本立てです。一方が、満州で生まれ青森に引き揚げ、20歳前後で上京してからは転々と職を変え、いつのまにか20年以上を新宿の路上で生活するようになった男性なら、もう一方は横浜の目抜き通り伊勢佐木町界隈の路上を、白塗りの顔と純白のドレスで歩く元米軍相手の娼婦だったという女性。境遇も性格も生活する場所も全く違う二人の主人公に対し、撮影する監督の方も非常に異なる立ち位置や関わり方で作っていたことが分かりました。
ボランティアで出した一杯の豚汁がきっかけで近しくなり、そのままを記録に残したいとカメラを向け始め、支援者なのか取材者なのか判別が付かないままにより深い関係を持つようになった飯田監督と、“メリーさん”への個人的関心を突き詰め、様々な想いを持つ関係者に綿密な取材をし、時間をかけて織物を縫うように仕上げていった中村監督。二人の映画作家の特徴は対照的なのですが、二本続けて見るとそれが何だか絶妙なハーモニーのようにも感じられて面白い経験でした。
明日以降、22日まで続きます。よろしかったらブログ(http://lowposi.jugem.jp)を参考に横浜シネマリンへおいで下さい。
毎日違うテーマで構成した2本の作品上映と監督トークショーを行いますが、初日の今日は「路上」と題し「あしがらさん」と「ヨコハマメリー」という2本立てです。一方が、満州で生まれ青森に引き揚げ、20歳前後で上京してからは転々と職を変え、いつのまにか20年以上を新宿の路上で生活するようになった男性なら、もう一方は横浜の目抜き通り伊勢佐木町界隈の路上を、白塗りの顔と純白のドレスで歩く元米軍相手の娼婦だったという女性。境遇も性格も生活する場所も全く違う二人の主人公に対し、撮影する監督の方も非常に異なる立ち位置や関わり方で作っていたことが分かりました。
ボランティアで出した一杯の豚汁がきっかけで近しくなり、そのままを記録に残したいとカメラを向け始め、支援者なのか取材者なのか判別が付かないままにより深い関係を持つようになった飯田監督と、“メリーさん”への個人的関心を突き詰め、様々な想いを持つ関係者に綿密な取材をし、時間をかけて織物を縫うように仕上げていった中村監督。二人の映画作家の特徴は対照的なのですが、二本続けて見るとそれが何だか絶妙なハーモニーのようにも感じられて面白い経験でした。
明日以降、22日まで続きます。よろしかったらブログ(http://lowposi.jugem.jp)を参考に横浜シネマリンへおいで下さい。
押しつけがましい言葉の先にあるもの? ― 2016年07月17日 08:51
家父長的な発言をよく耳にするようになった。内容というより言外に“女子供”への教訓めいたその言い方が特徴的だ。現政権に近いところから出るものも多い。
若い頃、私の父親もその代表的な存在として立ちはだかっていた。だから、いち早く高校卒業後に就職し、給料のほとんどを注いで家計を支えた。それで文句があるかという若気の至りだった。
結果として、それ以後父は何も言わなくなったが、私は安いパンを食べながら定期券で行くことができる渋谷近辺の名画座をハシゴし、世の中のことを少しずつ映画から学んだような気がする。しかし一方で、今につながる過度な思い込みや手前勝手な論理は、もしかしたら亡くなった父の影響なのかも知れないとも思う。
カミさんが亡くなった母にこう言われたことがあるそうだ。「一人でいるのが好きな子で、勝手に遊んでいるかと思うと、いつのまにか寝ていた」。友達と遊んだ記憶もたくさんあるし、家の近所には同級生も数多くいたはずだ。それでもなお、そのように記憶されていたことに納得がいく。どちらかと言えば群れることがきらいで、学校や職場でも一人で過ごす時間が多かった。対人的なストレスのないドラマの映像調整という一人で創る仕事に出会えたのは今考えれば僥倖だった。
そういう性格は今も抜けないが、その分、この社会の同調圧力がいやでいやでたまらなかった。そこに適応しようと考える自分もまたいやだった。それだけに、早く退職したいと考え実際にそうした。そうしたら、取り巻く社会もまた同調圧力をかけようとする為政者とそれを支持する有象無象が増えていた。
そんな時、この人の言葉が心に染みた。明仁天皇である。先の戦争で亡くなった数多くの死者を悼み、強制は良くないと諭し、放射能汚染により仮設住宅で暮らさなければならなくなった人々の想いを察し、隣国の古代の文化伝搬を謝すると共に近代の歴史を深く反省し、満州事変に始まる戦争の歴史を学んで今後のあり方を考えることが極めて大切だという。
時代を遡れば家父長の頂点を極めていた“地位”であるはずの人が、今、象徴としてこの国の中でいつも弱者に寄り添おうとしている。そして、その出発点で「皇位を継承するに当たり、(中略)みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを」誓うと宣言した。生前の譲位を考え、あえてこの時期にメッセージを出す意味は、“まさしく”(と言う言葉はこういう時に使うのだろう)「改憲」に対する強い意志だと感じた。それは、「緊急事態条項」が生まれたら、おそらく自身の言葉も正しく国民に届くことはないだろうという冷徹な認識から来ていると思う。敗戦を糧にした世代の想いを受け止めたい。
黙って支持するメディア ― 2016年07月20日 22:04
このところ多くのメディアで立て続けに話題となっている「日本会議」について、昨年靖国神社を訪ねた時に感じた印象が強く残っている。
靖国神社そのものに初めて行ったこともあって、いつからそのようになっていたのかは知らないが、8月15日、「日本会議」は大鳥居の先の参道の真ん中に大きなテントを立て集会を行っていた。
慰霊の日であろうに、その示威的な活動は、亡くなった故人を偲ぶ老人達を脇道に押しのけ、自分たちの“正義”をふりかざすもののように見えた。その態度は、この組織に参加する多くの国会議員や、現政権の閣僚の発言にも良く表れている。言葉使いとは裏腹に、“強権的”で人の話に耳を傾けようとしないところが共通した特徴だ。それは、この社会のいたるところに静かに広がっている同調圧力とも無縁ではないだろう。「声を挙げるな」というように…。
たとえば、「空気が読めない」が“KY”と称されて流行したのは、少なくともそれを(消極的であれ)“支持”する多くの態度から生まれたものだ。あるいは、国語教育における“敬語”が「敬して避ける」ためのシステムを存続する言葉として残り、新しく「親しく交わる」ための言葉を育めなかった理由ともつながる。この国にはそうした精神的土壌が残っている。
一方で、圧倒的な(同時に消極的な)“支持”を受ける国内のマスメディアが、ジャーナリズムの視点を持って情報を伝えることを大きく後退させてしまったことは、「国境なき記者団」の「報道の自由度ランキング」の例ひとつをとってみても明らかだが、メディア自身がもうそれを検証する気はほとんどないだろう。それは、彼ら自身も「空気を読」んでいるからにほかならない。国内の政治・社会的な動きについて外国メディアが語る方がコトの本質を突いていることは今や日常茶飯事になってしまった。
いずれ、こうして誰へともなしに書き表していくことさえ難しくなっていくのかもしれないが、マスメディアには載らないようなことを、考え、書き続けていきたい。「憲法を守る」と言うと政治犯になるような日が来るのだろうか。
通俗小説と「くるみ割り」人形? ― 2016年07月21日 22:58

だいぶ前のことになるが、ジブリ美術館が全面的に改装されると聞いて、休館になる前に観に行ってみようと思い立ち、今年のゴールデンウィークの直前に吉祥寺へ出かけたことがある。美術館へ行ったのはこの時で2回目だが、前回どんな特集展示があったのかは既に忘却のかなただ。
改装前の最後の展示は、江戸川乱歩の「幽霊塔」を素材に「通俗文化の王道」と題して怪奇小説の源流を遡る特集だった。黒岩涙香の「時計塔の秘密」から「灰色の女」、さらにはその原典である「白衣の女」まで取り上げる一方で、タテ方向への動きに感覚は強く反応するという宮崎仮設(?)を元に館内の中央に時計塔が作り上げられていた。小学校高学年の一時期、ルパンや二十面相など怪盗モノの児童本に心躍らせた経験もあって、しばし懐かしい世界に引き込まれたような気がした。1階でゾートロープを真剣に観ていたせいもあるだろうか。乱歩の少年小説自体は早々と卒業したが、その後、北村想の「怪人二十面相・伝」や久世光彦「一九三四年冬−乱歩」など十分に繋がりを感じさせる読書体験もするのだから、やはり“王道”は強いものだとあらためて思ったりもした。
さて、一通り見終わったところで、ジブリアニメ好きの中国人留学生へのお土産を物色していたら、一つ前の企画「クルミ割り人形とネズミの王様」展の原作E.T.A.ホフマンの翻訳本(岩波少年文庫)を買うと宮崎駿のイラストカバーを付けてくれるという。グッズの類にはあまり関心を持たないが、これは素敵だと思って買い求めた。昨日それは手渡してしまったので、もう手元には無いが、実のところ渡す前に読んで見たくなり先に読了してしまった。面白かった。なんといったら良いのだろうか。奇想天外というか、子供の想像の趣くままに世界が広がっていくようだった。“メルヘン”というのはこういうものだったかと思い出させてくれた。と同時にどことなく儚げにも感じられた。原作が書かれた時代背景や、作者の身の回りに起きたできごとなどが、作品に投影されているからかもしれない。
実は、昨晩なにげなく、ネットで「くるみ割り人形」を検索していたら、Youtubeにチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」が挙がっていて、2012年12月にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で演じられた舞台公演を高画質で観ることができた。組曲を聴くのが好きで「くるみ割り人形」も2枚組のアルバムを買ったことはあるが、バレエそのものを通しで観たことはない。もちろん、生で観たこともないので、その善し悪しなど知る由もないが、初演があったこの劇場のスタッフが創り上げる舞台はとてもすばらしく、あっという間に時間が経ってしまった。もちろん、演目である「クルミ割り人形」自体が多彩な曲と踊りで構成されていることもあるだろうが、オーケストラピットから挨拶するワレリー・ゲルギエフを始め、繰り返し重ねて創ってきた舞台の出演者全員が“メルヘン”を産み出しているように見えた。
これこそ、“王道”なのだろう。