押しつけがましい言葉の先にあるもの? ― 2016年07月17日 08:51
家父長的な発言をよく耳にするようになった。内容というより言外に“女子供”への教訓めいたその言い方が特徴的だ。現政権に近いところから出るものも多い。
若い頃、私の父親もその代表的な存在として立ちはだかっていた。だから、いち早く高校卒業後に就職し、給料のほとんどを注いで家計を支えた。それで文句があるかという若気の至りだった。
結果として、それ以後父は何も言わなくなったが、私は安いパンを食べながら定期券で行くことができる渋谷近辺の名画座をハシゴし、世の中のことを少しずつ映画から学んだような気がする。しかし一方で、今につながる過度な思い込みや手前勝手な論理は、もしかしたら亡くなった父の影響なのかも知れないとも思う。
カミさんが亡くなった母にこう言われたことがあるそうだ。「一人でいるのが好きな子で、勝手に遊んでいるかと思うと、いつのまにか寝ていた」。友達と遊んだ記憶もたくさんあるし、家の近所には同級生も数多くいたはずだ。それでもなお、そのように記憶されていたことに納得がいく。どちらかと言えば群れることがきらいで、学校や職場でも一人で過ごす時間が多かった。対人的なストレスのないドラマの映像調整という一人で創る仕事に出会えたのは今考えれば僥倖だった。
そういう性格は今も抜けないが、その分、この社会の同調圧力がいやでいやでたまらなかった。そこに適応しようと考える自分もまたいやだった。それだけに、早く退職したいと考え実際にそうした。そうしたら、取り巻く社会もまた同調圧力をかけようとする為政者とそれを支持する有象無象が増えていた。
そんな時、この人の言葉が心に染みた。明仁天皇である。先の戦争で亡くなった数多くの死者を悼み、強制は良くないと諭し、放射能汚染により仮設住宅で暮らさなければならなくなった人々の想いを察し、隣国の古代の文化伝搬を謝すると共に近代の歴史を深く反省し、満州事変に始まる戦争の歴史を学んで今後のあり方を考えることが極めて大切だという。
時代を遡れば家父長の頂点を極めていた“地位”であるはずの人が、今、象徴としてこの国の中でいつも弱者に寄り添おうとしている。そして、その出発点で「皇位を継承するに当たり、(中略)みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを」誓うと宣言した。生前の譲位を考え、あえてこの時期にメッセージを出す意味は、“まさしく”(と言う言葉はこういう時に使うのだろう)「改憲」に対する強い意志だと感じた。それは、「緊急事態条項」が生まれたら、おそらく自身の言葉も正しく国民に届くことはないだろうという冷徹な認識から来ていると思う。敗戦を糧にした世代の想いを受け止めたい。