遠回りした浪曲との出会い ― 2016年06月23日 23:59
一昨日、東京の荏原中延を訪ねました。東急池上線は何度か乗っていますがこの駅に降りたのは初めてです。駅前は南北に商店街が延びていかにも下町風ですが、都心に近いせいか昔ながらの東京の雰囲気も残っているように感じます。駅を降りて北へ向かい徒歩4分ぐらいのところにある「隣町珈琲」という喫茶店で開かれたあるイベントに参加してきました。
皆さんは浪曲を聴いたことがあるでしょうか。“浪花節”とも呼ばれる語りの芸能です。その昔、父親がカセットテープで良く聴いていたのが広沢虎造という浪曲師の「石松三十石船」。「馬鹿は死ななぁきゃなおらない」という有名な台詞が出てくる話ですが、独特のだみ声に馴染めなかったことと、父親そのものへの反発心から今に至るまで伝統芸能の中で私が最も関心を遠ざけてきたものの一つです。
その浪曲を定員20名の小さな喫茶店で聴きました。語りは玉川奈々福さんという女性浪曲師。様々なジャンルの芸能者とのコラボレーションや企画プロデュースも多い実力者です。脇で三味線を弾く曲師は斯界随一とも呼ばれる名手沢村豊子師匠。浪曲の曲師は舞台の裏に隠れていたりすることも多いようですが、この二人の場合はお互いがすぐ隣にいて、語りと掛け声が響き合うような濃密なコミュニケーションが成り立っていました。そのことにまず驚かされました。そしてすぐに、あぁこれはパンソリの歌い手と鼓手に似ているなとも感じました。
奈々福さんの軽妙な進行で客席からの掛け声も練習し、さて聴いた演目はというと古典と新作の二席。奈々福さんが一番最初に師匠から習ったという「陸奥間違い」、そして豊子師匠との関わりを語る新作の「豊子と奈々福の浪花節更紗」。笑いの絶えない1時間30分でした。
ところで、こうした放浪から生まれた芸能には、市井に生きる人々が権威に対する揶揄を込めたメッセージがどこかにあるような気がします。何かにつけ大義名分で“管理”・“強制”しようとする輩がはびこる前に、放浪芸人の魂を市民の側で盛り上げたいと今痛切に思います。