敬語による思想形成?2021年08月02日 18:51

今日は、1年半前に東京の芝・愛宕を案内した韓国青年訪日団の一員だった釜山の大学生と初めての日本語レッスン。オンラインなら海外在住の外国人とも簡単につながる時代を意識する。以前から、こちらが怪しげな韓国語のメールを送ると、とても丁寧な日本語のメールを返してくれる人だった。研修留学で秋に来日する予定を前にして、少し敬語の話を聞きたいということで学習支援を始めた。
 敬語。特に日本のそれは“場”にふさわしいことが重要だ。待遇コミュニケーションの相手や第三者との関係、ウチとソトの境界、媒体(対面・手紙・メール・Twitter・SNSなど)による違い。専用のことば。謙譲の程度など、日本人でもなかなか難しいが、そこは言語経験の幅がモノを言うところでもある。ところが、サービス業とはいえ、顧客を相手にすることなしに過ごした“虚業”をいくら積み重ねてもたかは知れている。しかも、生来の“なまいき”が簡単に直るわけもない。おくればせながら、いそいそと関連本を読み直してみる。
 最近は、就活用のWebコンテンツにもビジネスマナーの一環としてメールの書き方や敬語の使い方を解説する記事が多く載っている。本来なら学生を集めて公開セミナーなどを開くのだろうが、昨年来、そうした催しができなくなったこともあり、Web上を充実させているようだ。特に対象を“第二新卒”と掲げているところが充実しているのは、時代ということだろうか。
 「マニュアル敬語」と呼ばれるように、元々ある種の“形式”を伴って生み出された敬語は、その“形”からいかに逸脱しないかを気に掛けるものかと思う。それは、日本人の思想形成にも大きな影響を与えただろう。あらためて気づかされた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2021/08/02/9426661/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。