クーデターという思考停止2021年02月26日 18:36

土曜日の「報道特集」以外、テレビニュースをほとんど見なくなっているので、この数日ミャンマーがどのようなことになっているのか、良く分からない。東京新聞では市民の抗議活動がゼネストへと拡がったことを伝えている。国際的な非難はASEAN内でも対応への足並みを乱れさせ、国軍政権の外相が訪ねることができたのは、似たような事情で王室批判が続く隣国タイだけだった。実際、軍関係者は既得権益を守ることしか頭にないようで、政策構想が全く見えないクーデターは、この先何も生み出せないだろう。
 しかし、腐りきった軍政を民主化する世界的な流れそのものは、決して止むことはない。それは“軍”というものの本質にかかわる。個人の自由を束縛し、ヒエラルキーの中でしか通用しない言葉で市民を制圧する。武器による暴力しか信じることができない隷従思想は、腐敗した官僚主義にもつながっている。
 話は変わるが、85年前のこの日、首都の各所を制圧した陸軍軍人たちが、美辞麗句でその蜂起を正当化しながら実際に突き付けた要求を思い出す。彼らが所属する陸軍皇道派が統制派に取って代わるというだけの粗雑なものだった。そもそも彼らは時の首相の顔さえ知らなかったのだから…。
 6年前、韓国語教室の同級だった高校生から夏休みに読む本を紹介して欲しいと頼まれたことがある。この国は、原爆投下から敗戦“記念”日にかけて集中的な戦争報道を行うが、戦争前と戦後間もない頃のことをあまり取り上げない。そこで、その時期の社会の雰囲気を十分に感じさせてくれる2冊の本を薦めた。宮部みゆきの『蒲生邸事件』と井上ひさしの『下駄の上の卵』である。もちろん、二・二六事件の暗さと戦後の明るさの間には数え切れないほどの戦没者がいた。

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