朗読会のような詩集2020年12月28日 15:56

絵本の次は“詩集”のようなものを紹介する。と言っても、昔から「詩」というのものがあまり良くわからない。「詞」であればまだ“取り付く島”がある。あるいは、外国語ならば言葉そのものに真っ直ぐ対することができるような気がする。もちろん例外はある。山之口貘、石垣りんという二人の詩人の作品ならば、それなりに読み続けてきた。それ以外は、絵本に添えられた言葉としての“詩”ぐらいだろうか。だから、この10年ぐらいはずっと「歌」を探して聴いている。
この年の瀬に、菊名の三輪舎から『鬼が逃げる』という本が出た。「詩」がたくさん載っているものを「詩集」と呼ぶなら、これも間違いなく“詩集”なのだろうが、少し、いやずいぶんと変わっている。表紙と目次に続き、来賓の挨拶のような一文が載っている。しかも、その一部は帯にもあった。声に誘われて入ってみたら、客引きがそのまま露払いに化けたような気分である。続いて、照明を落とした会場で詩の「発表会」が始まる。朗読が続く合間に、時折明るくなっては作者の一人語りが入る。
「詩」は良くわからないけれど、言葉は響く。音だから“ひらがな”だけにもなる。長野県で開かれている実際の朗読会がそのまま本になったようだ。難しい言葉はほとんど無く、日常から生まれた“詩的”な表現が並んでいる。そういう意図で作られたものではあるのだが、そこに辿り着くまでには時間がかかったそうだ。それは長大な朗読会を構成することに似ている。
それにしても、こういう本を時間を掛けて出せるのは、一人出版社ならではのことなのであろうが、著者同様に編集者を始めとした製作者たちもどこか“鬼”(あまのじゃく)に近いと思う。“ただ”の天邪鬼である私も、様々なしがらみから逃げてきたが、こうした“カタチあるもの”に関わる人々を嗅ぎ分ける習性だけはかろうじて持ち続けている。だから、たとえ「鬼滅」は廃っても、“鬼”は変わらず生き続けることを知っている。

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