何を伝えるのか2020年12月14日 15:47

もう20年も前になるが、その時のことを今でもはっきり覚えている。仕事を終えそろそろ帰宅しようとしていた職場の居室で、まだ残っている同僚達が大型テレビの前に集まっていた。高層ビルに飛行機が激突して燃え上がっている映像だった。その直後、2機目の突入による爆発をリアルタイムで観た。今も時々見かけることがある世界貿易センタービルへの“テロ”攻撃の映像である。
この映像は繰り返し様々なメディアで取り上げられ、今後も歴史的な記録資料として多くの人々の目に止まることになるだろう。事件をきっかけとしてアメリカのブッシュ政権はアフガニスタンへの侵攻から「疑惑の大義」によるイラク戦争へと西アジアで大きく戦火を拡げた。その結果、多くの被災者・難民が生まれ現在もなお過酷な環境下に置かれている。
そうした状況が、小さな製作プロダクション、時には個人の努力でドキュメンタリー映画として紹介されることはあるが、大手メディアで観ることは少なく、ごく普通の暮らしを営んでいる人々の目にはなかなか触れない。少しでも関心があればネットを含めてそうした情報にアクセスすることは十分に可能であるが、組織的で大掛かりな情報伝播社会の下で埋もれている。
たとえば、内戦・空襲の被害者や難民・国内避難民の実態を示す映像と、上記のビル激突映像とが、それぞれ世界で受容された数には明らかな非対称性がある。それぞれの被災者の実数を考えてみれば、その非対称性の程度は天文学的に大きなものであることもわかるだろう。
だからこそ、そのような圧倒的な情報伝播格差があることを前提とした報道も必要なのだ。加工されていない“歴史的な”映像の一次資料は、その多くが何らかの“力”を持つ側が撮影している。ただそれをつなぎ合わせるだけでは、傍観者的な視点ばかりが蓄積されるのを防げない。撮影される側、そして傍観する第三者がいる背景に迫る視点と構成・演出がない限り、歴史的な事実の意味を本当に解き明かすことはできない。
NHKの『映像の世紀』は1995年に最初のシリーズが放送された。その冒頭に「20世紀は動く映像として記録された最初の世紀」というナレーションが入る。また、新シリーズやテーマ構成のプレミアム版には「100年の時を追体験する」というフレーズがあるが、記録された膨大な映像資料から外れる、カメラが撮らなかった、あるいは撮っても多くの人々の目に触れることない数多くの“歴史的事実”を、残された映像の背後に十分想像できるものでなければ、この新しい世紀にふさわしいマスメディアとして生き残ることは難しいだろう。
一昨年、SSFF&ASIAで初めて観た赤十字国際委員会(ICRC)制作の『希望』というショートフィルムは“フィクション”ではあるが、先述の被災者の実態を象徴的に描いた秀作である。観る人に何を伝えるのかという一番肝心な要素がここにはある。

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