旧弊なる差別性を考えるきっかけ2020年12月12日 15:46

年内はこれが最後になるだろう映画鑑賞に出かけた。コロナ禍で感染者数が増えているのは承知しているが、上映が人出の少ない“午後イチ”だったこともあり、本日で終了となる『82年生まれ、キム・ジヨン』をどうしても観ておきたかった。
原作はチョ・ナムジュの同名の小説。2016年に発行されて韓国で130万部という大ベストセラーになった作品で日本語版も累計21万部を超えたという。この欄で何度も触れていることだが、韓国で勃興している新しいフェミニズム小説の代表格である。ただ、私は斎藤真理子さんの訳書をまだ読んでいない。もちろん、マグリットの抽象絵画を思わせる名久井直子さんの装丁は書店の海外文学のコーナーで一際目立っていたし、最寄りの駅近くにある“ごく普通”の本屋まで平置きにしたぐらいだから、若い女性を中心に多大な関心を集めていたことは良く知っている。ちなみに、映画化に合わせて購入したものも含まれるだろうが、横浜市の図書館には41冊あり、現在も402件の予約がある。
映画の内容については、既に様々な所で多くの人たちが語っており、今さら触れることもないだろうが、日本語訳で唯一読んだことがあるチョ・ナムジュの短編における淡泊な場の表現が、とても映像化しやすいものだということについての予感はあった。日常のごくありふれた風景の映像描写は、韓国ドラマなどにも出てきそうで随分定型化しているが、その分、登場人物の言葉や内面の表現に特に意を注いでいる。“憑依”はその最たるものだ。つまりは、全編を通して主人公の思いが真っ直ぐに出るような仕掛けになっている。そして、無責任な公言に含まれる「ママ虫」という差別言辞にさらされ、勢い込んで反駁した行動の結果を、精神科医に「(気分は)悪くなかった」と応える“ジヨン”の言葉が多くの観客に届いたはずだ。
旧弊なる差別性からなかなか抜け出せない男たちにとって、それは女性からの精一杯のメッセージとして受け止めるべきものだろう。旧来の非対称を考えるきっかけとして…。

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