フルCGの中にある自然音の混沌2020年10月28日 14:40

「こんな夢を見た」で始まるのは漱石の『夢十夜』だが、そんな風に書き出してみたくなるような、ちょっと不思議な夢を見た。実際は、起きてすぐに大半の記憶が消えてしまうので、細かなところを再現できないものの、一言で云えば“歌”の夢だった。
前の記事で“エール”に触れたせいかもしれない。もともと「行進曲」風の歌に対しては抵抗感があるので、その反対、つまり極めて“個人的”なモノローグのような歌である。それが次から次へと形を変えて出てくる。聴いているかと思えば、いつのまにか歌っていたり、半分覚醒したような時間があるかと思うと、いつのまにか次の夢に移っている。例えて言えば、ベンガルの「バウル」から始まって説経や祭文・瞽女唄のような“道の歌”らしき音が怪しげに響いているのである。
どこから聞こえてくるのかが良くわからないまま、それは断続的に現れては消える。夢の中に探すそぶりはないが、自然と身体が反応して寝返りを打ってみたり、いつのまにか声を出していたりする。テレビを含む人工音に囲まれすぎて、自然環境がもたらす豊かな音世界に耳を閉ざしていたせいなのかもしれない。
そんな夢をみたからではないが、実は今日、横浜の黄金町にあるジャック&ベティで「映画音響の世界へ」というドキュメンタリー映画を見てきた。初期のトーキーからステレオ、同時録音、デジタル化、ドルビー5.1chなど、時代と一緒に歩んできた音響技術がどのように映画作品の中で効果的に作られ、使われてきたかを紹介している。そこには驚くほど多様なテクニックとあくなき挑戦が描かれているのだが、観終わって、とても印象に残ったことが一つある。
それは、アニメーションを始めとして、コンピューターグラフィックスで作られる様々な仮想映像に付ける効果音に、実はその映像と関係のない多くの“実音”が含まれ、重ねられているということだ。擬人化したモノから怪獣・無機物など、言い換えれば、本来は無音なものから無機質な機械音や実際の声・音が不明なものに、膨大な“実録音”のサンプルから創られた実世界には無い音が充てられている。
映画の中では直接触れられていなかったことだけれど、この実録音が生み出す“音の自然”が仮想映像にリアリティを与えているような気がする。つまり、どんなに加工されていたとしても、人はそこに電子音ではない自然環境の混沌を含む音を望んでいるのではないだろうか。
夢で聴く音におそらく電子音は現れないのではないか。そんな気がする。

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