背教の歴史に沈む個人2020年07月26日 12:10

昨年来、韓国の女性作家の小説を続けて読んできたが、久しぶりに今度は歴史小説を読んで見ようと選んだ一冊は『黒山(흑산)』という大作である。日本ではあの蓮池薫さんが訳した『孤将』(原題:刀の歌)で有名な金薫(キム・フン)の作品だ。今回は戸田郁子さんの訳でクオンから出ている。固有名詞に苦労しながら一昨晩ようやく読了することができた。
 『孤将』では隣国と事大主義に翻弄されながら二度の倭乱で活躍した李舜臣という水軍の英雄の内面が描かれているが、本作は18世紀末から19世紀初頭にかけて天主教(カトリック)の信仰に殉教した朝鮮の多くの人々が主人公になっている一種の群像劇である。
 正祖時代の韓国史劇で有名な丁若鏞(チョン・ヤギョン)は端役で、次兄丁若銓(チョン・ヤクジョン)と長兄の娘と結婚する黄嗣永(ファン・サヨン)が小説全体のキーパーソンになっている。その二人を、馬子、寡婦、奴隷、背教者、庶子、船頭、官員など多種多様な人々が囲んで物語は進む。
 書名の「黒山」は、丁若銓の流刑先である全羅道の西の沖に浮かぶ「黒山島」から採られている。常緑樹の島は地平線の先に黒く浮かび、わずかだが集落もあるが、この時代なら絶海の孤島という表現もできる所だ。天主教の信仰対象が“いま”ではなく“遠く歩んでゆく”先にあると同時に、来し方の様々な受難が今後も決して無くならないだろうことへの絶望も感じられる。“主”に現世での救いを求める諺文の言葉が国中に広まり、“海島真人”の到来を待ち侘びるのと、それは照応している。
 官憲の密偵となった背教者が、日常の暮らしに密接な塩辛売りの行商を通じて教徒の“網”を知り得たことで、予想された最後が訪れた後、黒山に流された丁若銓は、島の若者に助けられながら魚の生態を調べた『茲山魚譜』を記し、島に書堂を建てたという。もちろん、教えたのは『千字文』と『小学』である。
 埋もれた歴史や陽の当たらなかった人々に目を向けて、そこに新しい“物語り”を紡ぐ仕事は、単なる歴史の回顧ではなく、この先の未来につなげる“声”や“歌”の再創造だと考えている。半可通の言葉で流行歌を作りながら優生思想を振りまくような軽輩には、決して届かない高みがそこにはある。

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