“緩さ”を許す関係を築く2020年05月16日 11:19

中級に入ったところで長い迂回と滞留が続く韓国語の学習だが、以前、人から良く尋ねられる質問があった。いや、今でも時々はある。「なぜ韓国語なのか…」と、あるいは「なぜ韓国語の勉強を始めたのか…」と。答えは二つ。「韓国ドラマ『イ・サン』を観たから」と「新書『ハングルの誕生』を読んだから」。一応、これが表向きの説明だ。実際は良くわからない。確かにきっかけになったことは間違いないが、“字幕無しでドラマを観たい”とか“韓国語の本を読みたい”という強い目的意識があったわけではない。
 あえていえば、何となく…としか言いようがないのだ。早期に退職してからの、とてつもなく長い余暇に何をするかを探していたときに、たまたま出会っただけのことだったかもしれない。ただ、なにげなくそこに、ある“親しみ”のような感覚があったことは確かだ。もちろん、幼い頃から、集住地近くに住んでいなくても、横浜ぐらいの大きな都市であれば苗字一文字の在日外国人が学年に一人ぐらいはいた。また、政治的な関心はほとんど無くても、隣国という地政学的な位置から伝わる情報は、過去の歴史をわずかながらにでも知る機会となっていた。ただ、それは何というか、いつも中途半端なものだったような気がする。良く分からないままに「近くて遠い国」という認識だった。
 それがこの十年、いつのまにか“遠い”国ではなくなった。その間、3回合わせても僅か半月ほどの韓国滞在で意識が変わるほどの体験は得られなかったが、ひとつだけ感じたものがある。逆照射とでも言うのだろうか。隣国をきっかけに、この国つまり“日本”や“日本語”への関心が強く湧き出したのである。この方向性は様々な点で確認できる。生の口演を聴いたのは浪曲よりパンソリの方が先だ。劇場に再び通い出したのは風琴工房の『国語の時間』がきっかけである。舞踊劇の鑑賞も韓国文化院から能楽堂へと移った。そして公開講座「知の市場:韓国学」が韓国勉強会につながり、近現代史に登場する“大日本帝国”という存在を改めて考えることにもなった。
 実は先日、内田樹編著の『街場の日韓論』を読み終えた。コロナ禍ですっかり文化交流も途絶えた感のある隣国との関係は、一昨年来外交をその端緒として急激に悪化している。だから編者は、その「まえがき」に「主題は「日韓関係」です。これがたぶんいまの日本において最も喫緊な論争的主題だ」と書き、「誰か賢い人に「正解を示して下さい」とお願いするよりも、(中略)クリアーカットであることを断念しても、立場を異にする人たちにも「取り付く島」を提供できるような言葉をこそ選択的に語るべきではないのか」と問うている。書名が“韓国論”ではなく“日韓論”というところに一抹の“宿痾”を感じていたら、編者はTwitterで「わりと風当たり強いみたいですね。「素人が口を出すな」的な」と呟いていた。実際、執筆者の顔ぶれと各人の論評にまとまりはない。しかし、この“緩さ”こそが“良し悪し”を超えた“日本的なありよう”を示しているように私には思える。そしてそれは、韓国人が日本という国や人を理解する際のとても大事な視点だと考えている。
 平川克美氏の本文から少しだけ引く。「己の中に内面化された複雑な感情に向き合うことでしか、歴史的な支配/被支配の関係にある他者との間に、友好的で対等な関係を築く端緒を見いだすことはできないのかもしれません」

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