ジョーカーを生み出す社会2019年12月25日 19:08

過日、かながわ県民センターで留学生への日本語レッスンを終えた後、久しぶりに映画館へ足を運んだ。桜木町駅にほど近いブルク13というシネコンである。観たのは『ジョーカー』。あの「バットマン」の外伝である。「バットマン」と言えば、私の世代ならテレビから観始めた人も多いシリーズだが、敵役(かたきやく)「ジョーカー」はジャック・ニコルソンが演じた映画版の記憶が新しい。今回の作品は、架空の都市ゴッサムを舞台にしているところは同じだが、バットマンは出ない。主人公であるジョーカーが一介の貧しい青年から冷酷無比な殺人者に変貌するまでの成長譚(?)である。以下“ネタバレ”そのものです。未見の方はスルーして下さい。
 アメリカンコメディから始まった人気作だけに、いろいろな隠喩はあるのだろうが、それは良くわからない。ただ、ストーリーそのものに特別変わったところは見当たらなくて、だからと言えるかどうかはわからないが、物語へは入りやすい。たとえば、ストリートチルドレンにからかわれる底辺労働者はチャップリンの無声映画を思い出す。コメディアンを目指しているものの、テレビ番組の口さがない司会者のようには世の中をうまく立ち回ることができない。格差社会が進行して、みんなが不機嫌な顔を示す中、バスに乗り合わせた黒人の子供は主人公アーサーの剽(ひょう)げた仕草に笑うが、結局は母親に咎(とが)められてしまう。架空の町ではあるが平均的なダウンタウンの下を走る地下鉄でも、鬱屈した会社員らによる集団暴力が発生し、殺伐とした今の社会を表している。
 障害を持ちながら母親を介護し、売れない芸人が集まる代理店から仕事をもらい、孤立してかつかつの生活を送っていた彼が、同僚からもらった“銃”の“暴力”によって次第に“権威者”へと変貌していく。かすかな対人機会でもあった精神治療が受けられなくなり、社会の抑圧に“無目的”な笑いで応えるようになる。繰り返し出てくるダンスシーンは、彼の妄想が拡大していく様子を示しているように見えた。
 彼が犯したテレビショーでの公開殺人は、ピエロの面をかぶり暴徒化した群衆を集め、その中の名もない一人が“善意”を標榜する政治家を殺す。仮面をかぶった匿名の人間が方向を失ったまま成り行きに身を任せて動くようになると、もう誰にも止められない。最後のシーンは“彼”の声を真摯に聴こうとした者さえも犠牲者となったことを暗示するように見えた。怖い映画である。

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