記憶として残る詩想2019年12月21日 19:06

少しずつ遡って13日。四谷三丁目の韓国文化院で読書会があった。3回シリーズのうちの最終回で、この日は課題本はなく、参加者それぞれが好きな「詩」を持ち寄って紹介するという形式だった。今年はホームページで申し込んだイベントが11月のミュージカルしかなく、それも落選したので、ずいぶん久しぶりの訪問だ。カレンダーを見たら映画『哭声』(コクソン)以来だった。
 モデレーターは姜信子さん。企画・提案した金承福さんも同席した。会の進行は日本語で行われ、15人ぐらいの参加者のうち韓国人は三人、“在日”は二人という構成だった。冒頭『公無渡河歌』という朝鮮の古謡の紹介があって、その歌詞に含まれる“ニム”から『ニムの沈黙』に話は移り、韓龍雲から同世代の作家李箱の詩「烏瞰圖」(오감도:オガンド)が紹介された。近代日本語が翻訳(西洋との葛藤)から生まれたとすれば、韓国の近代詩は日本語との葛藤から生まれたものが多い。言葉というより記号としての“日本語”を破壊する日本語の表現もそこには生まれたし、それを意識的に引き継いだ仕事の一つが金時鐘の『再訳 朝鮮詩集』ではないかという。
 さて、それぞれ持ち寄った詩集から紹介することになって、私は二冊のうち『再訳 朝鮮詩集』ではなく尹東柱の『空と風と星と詩』を採り上げることになった。選んだのは「雪降る地図」である。姜さん曰く、北間島で育った尹東柱は純粋な半島人というより、“在日”にも近い移民二世のような立場であったと考える方が良いかも知れないとのこと。当日私が持っていったのは金時鐘が訳した岩波文庫版で、前半に日本語翻訳、後半に漢字交じりのハングルの原詩が載っている。立教大学の追悼イベントで詩人を知ってまもない頃にこの文庫本が出て、その編集手法に驚き、何冊も買っては知人に配ったことを話した。
 そもそもは『再訳 朝鮮詩集』の前書きにある金時鐘さんの言葉に引っかかっていた。少し長いが引用する。
 「私はいまもって植民地下の自分を育てあげた宗主国の言語、日本語の呪縛から自由でない。皇国少年として自分の国の言葉を捨て去っていた私にとって、『朝鮮詩集』の再訳を試みるということはそのまま、自分の原語への立ち帰りを図ることであり、「解放(終戦)」からこのかた抱きつづけた自己課題への、六十年越しの取組みであることに私の再訳の理由は尽きる。母語から切り離されていた私が、青春の走りに金素雲氏の玄妙な日本語によってそこはかとなく魅入られた朝鮮近代詩の、今に滞っている情感を見究めたい、という思いもそこにはむろん絡んでいる。」
 この“滞っている情感”が、詩集の中で触れられること多い“雪”に重なり、それが記憶とつながる共通した詩想として感じられ、尹東柱の「雪降る地図」も併せて採り上げた次第だった。“順伊(スニ)”と別れた記憶が、いつまでも詩人の中に解けずに記憶として残り続ける。それは奪われた言葉に残すに相応しい風景だったと言えるのではないだろうか。
 読書会は参加者から多くの詩や詩人の紹介が続いた。多くの発言が交換されたので、いずれまた開かれることになりそうだ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2019/12/21/9197320/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。