異常気象へのアピール2019年09月25日 18:18

国連本部で開催された気候行動サミットにおいて、グレタ・トゥーンベリという16歳の少女が環境活動家として行った発言が、様々なメディアで取り上げられている。子供がいない私でも、若い留学生がこれから暮らしてゆく次の時代について何かしらの関心を持たないわけではないが、実感は薄い。ただ、彼女の危機意識が世界中の多くの若者に伝わりつつあり、同時に多くの“大人は判ってくれない”ことだけは理解できた。
 私自身は、昔から身体感覚の違和感を強く持つことが多かったので、ニュース解説などに頼らずとも、この数年の日本における実態から、異常気象はもうすでに“異常”ではなく地球環境が着実に変わりつつある結果だとわかる。一方、震度5弱程度の地震が各所で続き、年々台風の規模も巨大化しているにもかかわらず、“想定外”の自然災害に為政者の対応は鈍い。というより関心が無いようにさえ見える。スウェーデンの少女の言葉はすぐ目の前にある現実を際立たせてくれた。
 東日本大震災の後、それまで原発に頼っていた電源供給を確保するためにしばらくの間「計画停電」があった。また“節電”がその年の流行語にまでなったものの、今や再生可能エネルギーへのシフトは見る影もないほど後退している。“省エネ”の技術に関しては国際的にも高水準にあるはずなのに、エネルギー消費そのものを省くすべを知らない。意識が伴っていないから、“セクシー”などと表現して世界に物笑いの種を蒔くことになる。
 実は、見た目の“格好(かっこう)”に関して、旧来からずっと思い続けてきたことが一つある。それはトイレの風景だ。あの両手を差し込んで温風で手を乾かす仕草ほど“みっともな”く“恥ずかしい”ことがあるだろうか。子供の頃、母親からハンカチを忘れないようにと繰り返し吹き込まれた教えが身体に染みついているせいか、濡れた手を拭くハンカチを持ち歩くことがごく自然な習慣になっている。衛生観念や社会道徳のようなおおげさなことを言っているのではない。ただただ、あの姿が“見苦しい”と感じる個人的な感覚に過ぎない。しかし一方で、それが電気で動作するものだという視点から出発しないかぎり、グレタさんを裏切り続けることになるだろうと確信している。

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