政治的メッセージという公人の不思議2019年08月28日 17:10

「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」における作品展示中止をきっかけにして、国を始めとする主要な地方公共団体の首長の多くが、実に権威主義的な思想の持ち主であることを昨日あらためて認識させてもらった。東京新聞によると、神奈川県の黒岩知事は定例記者会見において概略次のように述べたという。「極めて明確な政治的メッセージがある。それを税金を使って後押しするのは、表現の自由より、政治的メッセージを後押しすることになる。県民の理解を得られない」。そして、政府が河野談話で認めている慰安婦に対する日本軍の関与についても「強制的に連行したというニュアンスで伝えている」とし、「事実を歪曲したような一方的な主張を公金を使って支援するのはあり得ない」とも主張したそうだ。
 定例記者会見で述べる発言が、黒岩某の個人的意見ではなく、公人としての知事の言葉であり、それ自体が地方自治に関わる「政治的メッセージ」から逃れられないことを理解した上でのものかどうか。おそらく本人にもそうした自覚がないのだろう。近代史に無知であることは非難すべきことではないが、公人として述べる意味がどのような「政治的メッセージ」として受け止められるのかを理解できないのであれば、公職に留まる資格はない。彼の地はともかくとして、一県民として税金を払っている者からすれば、この人が知事であることに歎かざるを得ない。
 少し遡って、過日“カジノ”という賭場(とば)を含むIR施設の誘致に名乗りを上げた横浜市の林市長には、「白紙」という発言があった。当初“カジノ”を含むIR施設の誘致に積極的だった林市長は、一昨年夏の市長選前後を境にこの件については「白紙」だと繰り返し述べるように態度を変えていった。にもかかわらず、ここに来て突然誘致を表明して「白紙」というのは何も決まっていないことだったと言う。市長選の公約には「IR誘致は市民の意見をふまえた上で方向性を決定」とあるが、今回の会見では誘致の賛否を問う住民投票を実施しないと発言している。
 元々何も考えていなかったのであれば、「白紙」は文字通り「白紙答案」と同じであり、慮外なことだという強弁も成り立つだろうが、そもそも積極的な誘致を繰り返し述べたたあげくの「白紙」発言である。市民は市長に“白紙委任”をしたわけではない。市長自身も公人として選挙でそのように訴えたのではなかったか。TBS「報道特集」のVTRには、記者会見後に入った部屋で怒りにまかせて資料を投げ捨てるような態度がすりガラス越しに映っていたが、それを見た支持者の多くは自ら投じた首長選の用紙を今さらながら投げ捨てたいと思ったに違いない。それがいやなら、早々に“白紙撤回”することを検討すべきではないだろうか。

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