歴史を伝える映画2019年07月27日 16:37

梅雨明けのような暑い一日。午前中は歯医者へ、午後は映画館に行った。観たのは『新聞記者』。東京新聞の望月衣塑子記者の新書を原案として、内閣の保身に動く官僚たちとその実態に迫る新聞記者のドラマである。製作にイオンエンターテイメントが入っていることもあり、傘下の各劇場を含む全国150館で封切られて1ヶ月以上経つが、異例のロングランを続けている。来週辺りで封切館での上映が終了しそうなので、久しぶりに大型スクリーンで観ることにした。
 この映画が作られた背景について良く知る人であれば、HPのトレーラーだけを観ても内容について概ね把握できるものではあるが、少し前に読み終わった新書『同調圧力』に掲載された著者ほか四者の鼎談がスクリーン中のモニターを通じて繰り返し登場するのは、そのことを良く知らない観客への気づきを促すための補強なのであろうか。
 脚本に詩森ろばを据えたことで、映画というより、やや演劇的な趣のある作品に仕上がっている。ただ、映画として考えた場合には、ところどころで“つっこみ”を入れたくなるようなディテールの不備が感じられた。ただ、当初主人公の女性記者のキャスティングが難航した結果、“韓国映画界の至宝”は大げさにしても、人並み外れた演技をするシム・ウンギョンに託したことで、ひとつのとても印象的なシーンが残った。それは映画全体のメッセージともとれる「無駄にしません」という台詞を語る彼女の表情だ。もうだいぶ前のことになるが、『怪しい彼女』で息子役のソン・ドンイルを相手に若く生まれ変わった母親を演じた時の表情を思い出した。何事にも動じないような意志的な強さを感じさせる表情と目を彼女は創り出すことができる。そして、それは観る物に強烈な印象を残す。
 この映画は、映像に描かれたもの以上に、おそらく日本映画文化史の中で2010年代のトピックとして語られ続ける可能性が大きいだろう。政治はもちろん社会意識の劣化を引き起こした現政権によるメディア操作を背景に、税の私物化とも言える特区がらみの問題が多発した時期に、映画人が問題提起を行った数少ない事例として。みなとみらいの夕景を眺めながら、その回顧が早くできるように祈らずにはいられなかった。

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