つながるカタリ2019年07月22日 16:33

西荻窪忘日舎での「野生会議99つながるゼミナール:山伏の目で読んで語る宮沢賢治」が最終回を迎えた。山尾三省の『野の道』を題材にして、生涯、様々な“野”を歩き続けた賢治の姿を作品から読み直して見る試みだった。冒頭、大迫町(おおはさままち)の展示館の写真が映されるが、頬が痩けた賢治の顔は、終生、自他の一体感を追い求めて苦しんだ修験(しゅげん)の生涯があらわされているように見えた。
 今回の“カタリ”は『春と修羅』より「河原坊:山脚(さんきゃく)の黎明」と「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」の二作品。イベントの直前に姜さんと八太夫さんが訪ねた遠野(早池峰周辺)の映像をふんだんに使い、明治維新で排斥された仏教寺と修験の跡が残る早池峰(はやちね)神社という特異な場所の説明もあった。早池峰に向かう夜明け前の岩の上で遭遇する“霊”との邂逅(かいこう)などが語られる「河原坊」では、“月”(異界)から降りてきたであろう修験の足音を思い浮かべた。
 「原体剣舞連」は旧江刺市原体村(現奥州市)に伝わる異形の舞を観た賢治がその様を詩情に乗せて描いた心象風景。“dah-dah-dah-dah-dah-sko-dha-dha”と表される律動の囃子に古き異装の少年達が舞い踊る原初の祭りに似た民俗芸能は、坂上田村麻呂に駆逐された蝦夷(えみし)悪路王の姿を思わせる。会場では平泉の西、修験者達が寝泊まりしたという達谷窟(たっこくのいわや)にある毘沙門堂も紹介された。ちなみに、少し調べてみたところでは、地名“原体”はハラタイ、つまりアイヌ語由来(“広い林?”)である可能性が高い。
 この語りの最後には、まつろわぬ民の芸能に付きものの「鳴り物」を入れた“怪しい”祭りが繰り広げられた。関心のある方はYouTubeに載っているので「原体剣舞連」で探してみて欲しい。自他の一体感がひととき得られたかもしれない。