大義名分となるスポーツ2018年08月08日 14:28

 東京五輪は単なるスポーツイベントに過ぎないが、莫大な放送権料に加え、50社近い企業・団体から4000億円ほどのスポンサー料を取り、大会運営(設備整備を含む)や選手育成の費用を除けば、残りは組織委員会や広告代理店が儲ける営利事業活動である。
 そんなものの為に、1日8時間で10日以上も働かされる(自発性がない!)無償“ボランティア”11万人を「一生の想い出」という美辞麗句で募っている。酷暑の中を“ボランティア”したいという篤志家もいるようだが、それだけでは足りないものだから大学を中心に学校へ様々な“要請”を文科省が出した。もちろん、前期試験を早めろだのゴールデンウィークに授業をやれだのと直接の指示はしない。あくまでも「教育的配慮」のもと、五輪の実施期間に大会“ボランティア”ができるよう、お前たちで考えろということだ。
 また、公式の“ボランティア”は応募要件が18歳以上となっているが、該当する生徒を除く高校・中学生にも、今後学校の部活動を通じた形で都市ボランティアの補助業務などが要請されるだろう。「教育的配慮」にもとづく“ボランティア”としてだ。女優の広瀬すずを使ったCM放映まで予定されている。一方で、経済団体からは一般企業に対して有給休暇を使っての参加要請が既に始まっていると聞く。もちろん、そうした募集に応える応えないは個人の自由だと言う人もいるが、果たして日本のような同調圧力の強い国で誰もがそのように自己主張できるかどうかは心許ない。
 五輪そのものにも問題は多い。招致にあたって裏金を使った疑惑は未だに解明されないし、東日本大震災を含む多くの自然災害による被災者の復興より五輪の大型整備が優先されている(復興庁の昨年度予算は3分の1も残った)。選手村となる都有地が開発業者に格安で売却もされた。現在の国政・都政の結果が「している“感”、やった“感”」を中心に報道され続けるかぎり、こうした疑問はいつのまにか忘れ去られてゆく。
 そして、もう一つ。このイベントがどのように政治利用されてきたか。あるいはこれからさらにどのような政治手段に使われるかという最も大きな問題もある。一つは「共謀罪」だ。オウム真理教のサリン製造・散布事件に関わった13人の死刑がまとめて執行されたことに、私はあの「大逆事件」を思い浮かべた。幸徳秋水を冤罪で殺した政府は、その後特高警察を設置して民主的な運動、いや“思想”を徹底的に弾圧した。それは政府の方針に反対する態度そのものを“危険思想”とみなし多くの民間人を含む“政治犯”を創り出した。「オウム」のように明らかとなった組織犯罪をダシにして、今後、テロ対策名目での予防拘禁が野党や社会運動の指導者に及ぶおそれはないと誰が断言できるだろうか。
 さらに、現政権は「五輪」という「大義名分」を背に、市民生活を国家管理しようとしている。初めは祝日の移動だった。そして「動員」のための暗黙の指示が続く。次はおそらく標準時刻の改定、すなわちサマータイムの導入だろう。マラソンを筆頭とする酷暑の環境を少しでも改善するごとく「打ち水」だ「クールシェア」などと目先を変える一方で、市民生活そのものを“公共”の名で勝手に縛る、つまり“アンダーコントール”に置きたいのだ。このまま行けば、その先には、歴史上に悲惨な例を見ること多い国家主義の末路を想像してもおかしくはないだろう。何やら背筋が冷えてきた。

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