やさしくなあに・・・2017年08月30日 19:02

 構内を出て歩道橋を登る途中で、雨模様の空からポツリポツリと落ちて来た。昼下がりでも渋谷はいつも混んでいる。傘を開かず慌てて会場へ向かう。
 桜丘にある試写室で伊勢真一監督の最新作『やさしくなあに』を観てきた。
 大倉山ドキュメンタリー映画祭の実行委員長を務める伊勢さんは、永年にわたり質の高い映画制作を続けている。同映画祭も、そもそも自主上映がきっかけで生まれたと聞く。その原点とも言えるのが『奈緒ちゃん』という作品だ。監督の実姉の長女、つまり姪にあたる“奈緒ちゃん”は“てんかん発作”と知的な障がいを持って生まれた。監督が“奈緒ちゃん”とその家族の記録を残すつもりで始めた撮影は12年に及び、一般公開される映画に育つ。
 その後、“奈緒ちゃん”のお母さんと仲間が立ち上げた地域作業所を舞台に、『ぴぐれっと』・『ありがとう』という2本のドキュメンタリー作品が続いた。そして今回、おそらくはシリーズ最後の作品となるかもしれない『やさしくなあに』が公開される。通常、映画を観る前には何の予備知識も入れないで鑑賞するようにしているが、今回はやや不安があった。前三作を全く観ていないので少し混乱するかもしれないと…。しかし、それは杞憂だった。当たり前と言えばそれまでだが、初見の観客を想定していないわけはない。それにしても、ずっと見続けてきた人もいるだろうに…。だが、それもまた良い意味で裏切られたのかもしれない。
 不思議な映画だった。主人公は、たしかに“奈緒ちゃん”なのだが、その家族や、取り巻く人々でもあり、もしかしたら観る人でもあるというように声が届いてくる。もちろん、お母さんの弟という監督の立場、そして、35年近くにわたり生活の様々な場面を撮影し続けてきた伴走者のような存在であってこそだが、時に、公にするのをはばかる可能性があっただろう場面も出てくる。実際にも、そして表現上でも十分に“リスク”と呼べるようなものがあった。ところが、天真爛漫な“奈緒ちゃん”が「やさしくなあに」と呼び掛けることで進んだ宥和は、家族を次の新たなステップへ踏み出させることができた。そして映画も続いた。
 昨年、相模原市の障害者施設で殺人事件が起きた。犯行の手紙を公人へ出して社会的な認知を得ようとする犯人の態度が取り沙汰された。映画の中にも、ほんのわずかだがそれに触れたシーンがある。ことさらに大きく扱うわけでもなく、事件に絡め、障がいを取り巻く環境への意識が少しだけ変わったことをお母さんが淡々と述べている。
 しかし、映画全体を眺め直してみれば、おそらくは、伊勢さんなりのあの事件への“応え”は確かにある。それは言葉ではなく、映像が丹念に表す一つの“家族”のありようが、「やさしくなあに」という“奈緒ちゃん”の象徴的な台詞を中心に、観る者へ語りかけてくることそのものだ。だからこそ、あたかも主人公の一員であるかのように引き入られる映画なのではないだろうか。
 11月4日から17日まで、今回の新作公開と併せ、旧作を交えた特集上映が新宿K'sシネマで行われる。多くの人に観てもらいたいと思う。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2017/08/30/8727544/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。