合唱とヘイトの行方2017年08月28日 19:00

 暑い日が続くので自宅に籠もって読書三昧の日々を送っていたが、元留学生の日本語指導と、少し前まで縁があった韓国語合唱団の交流会へ顔を出すため出かけることにした。薄曇りで猛暑が一休みしたような天気は、帽子を忘れたのが気にならない程度に過ごしやすかった。
 かながわ県民センターで「旅」をテーマに元留学生が書いた日本語作文の添削を行いながら、多忙な毎日を一時忘れる週末の“小さな旅”がストレス解消になっていると聞いた。私も渋谷に通っていた当時、極力人混みを避けるために、独り時差出勤を行っていた頃を思い出した。
 午後の交流会の会場は新大久保。東新宿駅の乗降客が少ない出口から、脇道を縫うように新大久保駅へ向かう。途中、民家の玄関先に「自由にお持ちください」と張り紙がしてあって大量の古書が並べられていた。日本語関係の人文書が多い。偶然ではあるが、こうした“一期一会”は貴重なので、遠慮なく多めにいただくことにした。
 大久保通りに出ると日曜日のせいか、韓流ブームの賑わいが戻ったかのようで、人混みをかき分けながら進むことになった。通りを渡り、再び脇道に入り、JRの高架をくぐり抜けると東京グローブ座がほど近い。この辺り、ところどころに日本語学校が目立つ。コンビニよりも多いが、玉石混淆かもしれない。実は目的地も外語学校なのだが、そこは教会も併設された伝統ある語学学校だ。
 昨年まで通っていた横浜の語学堂で合唱をしていた。韓国語の会話ではなく歌を唄う。もちろん正規の教室ではなく、サークルのようなものだ。発表する場があまり(ほとんど)ない中で、東京で同様に合唱をしているグループと交流する機会が生まれた。その頃は事務方をやっていたこともあり、サークルを離れた後も何かとつながりが残っていて、久しぶりに訪ねて旧交を温めることになったのだ。
 合唱で唄う歌は必ずしも韓国の歌とは限らない。語学教室の合唱でもあり、日本の歌を韓国語に訳して唄うことも多い。この日の最後に二つのサークルが合同で唄ったのも井上陽水の「少年時代」を韓国語訳したものだ。文化翻訳から始まって、いずれは韓国でも唄うような機会が訪れるかもしれない。受身ではなく、一歩踏み出す交流の最も良い一例をそこに見ることができる。
 帰り道、大久保通りから往きに通った脇道に入る。駅へ向かう角の少し先、斜向かいに不思議な形の門がある。ここは、小泉八雲の旧居近くに作られた記念公園なのだ。彼は帝大で英文科の講師になるために上京し、西大久保に住んだ。まだ、豊多摩郡だった頃の話である。あの有名な『怪談』を始めとする説話作品が生まれたところである。夕方の公園は訪れる人も少なく、銅像が静かに佇んでいる。
 微笑む日本人を愛した八雲は、表通りから聞こえてくる野卑なシュプレヒコールをどのように聴いただろうか。

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