新聞で経時変化を読む2017年08月10日 18:52

 “メディアリテラシー”という言葉を初めて聞いたのはいつだったろうか。もちろん、大宅壮一の「一億総白痴」に始まって“…側の論理”や“…視点”など様々な問題意識でこれを取り上げたものは昔から多くある。なかには“公正中立”のように訳の分からない言葉で説明される場合もあった。いや、今でもある。テレビでいえば「ニュースステーション」や「週刊こどもニュース」あたりから視聴者が見方を意識するようになった気がする。そのせいか、新聞を含めたデイリーニュースの流れをせき止めて、1週間の“まとめ”であるとか“特集”などに展開することもその頃から行われ始めていたかもしれない。
 今講読している新聞に替える前からのことだが、溜まった古新聞を出す度にざっと眺め直してみる癖がある。そんな時、月2回2,3週間毎にまとめて見出しを追うだけでも、“その日”の情報だけでは考えもしなかったことが浮かんでくることがある。実際は、単純な勘違いであったり、頼りにならない個人的な仮説に過ぎなかったりするのだが、ひとつの区切りを置くことで、少し先を考えてみる契機になることは確かだ。
 そんな一つに“安保”がある。“日報隠蔽”問題で内閣改造を待たずに辞任し、国会招致にも応えずに責任を取ったふりをする大臣がいるが、一方で、このところ立て続けに米軍の訓練飛行が報道されている。日本国内での移駐や合同訓練を目的とするなど、表向きは「合理性が認められる」として重大事故後のオスプレイまで飛んでいるありさまだが、あきらかに米軍のやり方そのものが変わったように見える。ひとことで言えば、“もう、何の遠慮もいらない”という態度だ。
 前防衛大臣が辞任する前、外務・防衛担当閣僚会議(いわゆるツープラスツー)がアメリカ側の要請で中止になった。信託統治ではなく建前上は独立国という立場を尊重して行われている「日米合同委員会」で話し合われた米軍の実務上の課題を、関係閣僚が後追い承認するような会議だと、私はこれを解釈しているが、離任間際というタイミングで開催しても意味は無いとする論評が国内では多かった。確かにそれはある。行政能力を買って請われたというよりは、身内を目立たせる程度の信任で選ばれた可能性が高い人だと判断すれば、アメリカ側が“合理性”をもとに、今さら話し合っても無駄だと考えることは不思議でもなんでもない。
 しかし、このところの米軍のありさまを見る限り、この会議の中止は、防衛大臣の個人的資質を考慮してというよりは、安倍政権、つまりは現在の日本政府に米軍の運用について相談することはもう何もないと言っているように思える。たとえば、軍の“移駐”は再編の一環に過ぎず、日本という“属国”を軍事的に利用する範囲は、今後さらに拡大・進化する可能性が高くなるだろう。
 国内でのオスプレイ飛行の自粛要請がアメリカ側に拒否されたと報じられた記事の横に、オーストラリア沖で墜落した機体の状況調査がオーストラリア軍主体で行われているという共同配信の記事が載っていた。彼此の違いは明らかだ。
 そういう意味では、長崎の被爆者代表が平和祈念式典後に「あなたはどこの国の総理ですか」と問いつめた言葉は、単に核兵器禁止条約に反対していること以上に、現政権の本質的な問題を浮かび上がらせているように聞こえた。
 しつこいようだが、私なりの提案を書いておこう。防衛省は国際防災相、自衛隊は国際救助・復興隊への改組をそれぞれ進める。武器は携帯せず、建設用重機などによる瓦礫の撤去や各種インフラの回復支援、民間組織とも協力した医療など、救助・復興に特化した活動を行う。国内の被災地支援はもちろんのこと、海外における大規模自然災害被災地への支援や、武装解除を前提とした復興協力などを主な目的とする。併せて、活動のための人材育成を行うための専門教育を行う機関を設置する。何のことはない。憲法前文の実現に過ぎない。しかし、それを“公約”にしてこの国は国際社会に復帰したはずだ。

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