かけがえのない母語2017年08月05日 18:49

 韓国語を勉強してみたいと思ったきっかけは二つある。一つは、野間秀樹先生の「ハングルの誕生」を読んだこと、もう一つは韓国ドラマ「イ・サン」を韓国語音声(日本語字幕)で視聴したことだ。その一方、韓国語を学び始めてから、母語である日本語への関心が逆に生まれたのにもきっかけがあった。
 通っていた語学教室で偶然知ることとなったある“詩人”がいる。尹東柱(ユンドンジュ)。朝鮮半島が植民地だった時代、中国東北部の寒村に生まれ、キリスト教の強い影響を受けて少年時代を過ごす。文学を専攻し、西洋の詩を学ぶために創氏して日本へ留学した。“朝鮮語”(漢字ハングル交じり)で詩を書き、それにより治安維持法の嫌疑で逮捕され、福岡刑務所で日本の敗戦前に獄死している。日本における彼の詩作で現在も残っているのは5篇のみ、立教から同志社へ転学して以降の作品は全て没収され棄てられた。
 詩作に“朝鮮語”が使われたのは、もちろん“母語”だということが最も大きい要素なのだが、彼の意識や当時の状況がそれをより意義深いものにしている。日本語を学び、創氏してまで留学した日本の大学で、おそらくは日本語訳を通じた西洋文学の講義を受け、いずれは母国に戻って成し遂げたかったことのひとつに“新しい朝鮮語”というものがあったのではないかと思う。彼が滞日中に書いた「たやすく書かれた詩」という1篇の、その一連目には「六畳の部屋は よその国」(『尹東柱詩集 空と風と星と詩』金時鐘訳から、以下同)、そして九連目には「時代のようにくるであろう朝を待つ 最後の私」とある。
 日本語の使用を強要され、神社への参拝を強制された時代に、“よその国”で母語を書き続けた詩人は、“鮮やかな朝”の国に相応しい言葉を夜を徹して探し続けたに違いない。それは、それほどまでに“母語”の危機を意識していたからではないだろうか。
 今こうして、“母語”で考え、書き、外国人にも伝えることができることが、かけがえのない喜びであることを、私は彼から教えてもらったような気がする。
 一昨日、その詩人を描いた映画『空と風と星と詩人』(原題『ドンジュ』)を観て、彼は確かにそう言い残したように受け止めることができた。それ以上の感想はない。