劇に潜む差別2017年08月04日 18:47

 “三丁目”というと、ひと頃は“夕日”と一緒に語られることも多かったけれど、生まれ育ったのが横浜の奥まった所にある三丁目だったせいか、郷愁と共に思い出すというよりは、中心の1丁目、目立つ2丁目の陰に隠れ、あまり特徴のない街という印象が強い。まあ、それでも何となく親しみは湧くもので、副都心線ができてからというもの、新宿と四谷の三丁目にはよく通っている。それでも二日に渡り続けざまに行くことは珍しい。2日に四谷の韓国文化院で韓日中共同公演「流留」(リュリュ)と仮面劇「タルチュム」を、3日に新宿シネマートで上映中の「空と風と星の詩人」(原題:東柱)をそれぞれ観てきた。
 「流留」は韓国「タルチュム」を素材にして創り上げたコンテンポラリーダンス。伝統楽器の四重奏をバックに、身体の言葉の交換から始まる肉体表現で、“風”のように流れ留まる東アジアの文化をイメージした踊りだった。時折、手話や不自由な動きが合体したパフォーマンスもあり、新しい表現の芽を感じさせるところもあったのだが、一方で中国の踊り手がビザの関係で出場できなかったことがとても残念だ。
 「タルチュム」は、両班や白丁など朝鮮時代の社会階層を諧謔で風刺した仮面劇というイメージがあるが、今回の公演は単独の踊りだった。興味が湧いて少しネットで調べて見たところ、そのうちの二つは、病身舞、イメ舞という主要な演目だったようだ。二番目の若い娘を含め、いずれも当時の被差別者をモチーフにしているのは「タルチュム」の一つの特徴ともいえるのだろうか。
 この公演は東アジア3カ国の五輪連続開催に沿った共同文化事業の一環として行われたものであるが、パラリンピックを意識しているのかどうかはわからない。ただ、東京五輪開催に反対している一個人として、そうした名分が気にかからないわけではない。文化交流そのものに罪はないが、こうした意義のある催しに“五輪”と名付けられるたびに気分は憂鬱になる。これからもしばらく続くのだろうが…。