ファーストじゃない日本語2017年07月18日 18:12

 先日、とある日本語指導ブラッシュアップ講座に出席したら、講師からこんな質問が出た。
 「良い日本語クラスとはどのようなものか」
 その答えの一つに“学習者ファースト”というものがあった。
 出自をたどればトランプ氏の「アメリカ・ファースト」に遡るのだろうが、直近で言えば都議選に突如現れた新政党「都民ファースト」がある。もちろん、注意深くその間の事情を思い出せば、「フランス第一」の国民戦線や「日本第一党」にもつながる言葉だ。
 この“ファースト”にしても“第一”でも、それを使う政治意識は、言葉の前に置かれた名詞に含まれる、“排除”を前提とした結束を求めるものと考えて大きく間違ってはいないだろう。であるならば、それは“ファッショ”とどこが違うのか。
 そんなことを思っていたら、「都民ファースト」が都議選当選者への個別の取材を制限していると聞いた。組織が内包している特徴が既に現れ始めているようだ。
 日本語を学ぶ外国人のサポートをする意味は、日本や日本語が一番だからではもちろんない。地域社会で共生するためにお互いの理解を深める必要があるからだ。そして、それは自由に発言する個人あってのことだろう。
 ちなみに、前述の質問への私の答えは「次回もまた来たいと思うところ」である。