国民の総意は天皇に応えたものか2017年06月10日 17:59

 天皇退位に関する特例法が昨日成立した。採決を棄権した自由党からも「国民の総意に基く」という憲法第1条を引いたコメントが出たように、委員会も本会議も与野党全会一致という結果になった。しかし、皇室典範本則を変えることなく、一代限りの特例法が一体を成すと付記し、それを将来の“先例”とするというような条件をつけることが、明仁天皇の“ことば”に真摯に応えたものかどうかは甚だ疑わしい。
 ポッダム宣言の受諾が「国体護持」の優先で遅れ、夜間空襲を始めとする人的被害を拡大したことはまぎれもない事実であり、その延長線上に敗戦後の天皇制の問題もあった。“個人として”戦争責任を問われなかった昭和天皇は神から象徴へと変わったが、一方で皇位継承に関わる議論はほとんど進まなかった。それを最も意識したのが誰あろう明仁天皇だったのではないだろうか。A級戦犯の起訴が4月29日、うち7人の絞首刑執行は2年8ヶ月後の12月23日に行われた。学習院高等科の英語授業で将来何になりたいかと問われ「I shall be Emperor」としか答えられなかったその人は、即位するまでの期間を含め、とてつもなく長い時間、“天皇”を考え続けてきた。昨年8月8日の“ことば”はそれを如実に表している。
「本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。」
 しかし、高齢化に伴う対処が個人としても必要に迫られているとし、次のように言葉を続けた。
「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。」
 天皇制と立憲主義の並立を認めた戦前の天皇機関説が、“国体明徴”運動によって排斥されたように、限りない無責任を生み出すシステムがもたらす恐怖と惨禍をこの国は経験してきた。それだけに、“象徴”でありながら“個人”として発言することの意味を明仁天皇は“ことば”に込めたのだろう。
 先日、ある留学生から次のような言葉を聞いた。
 「天皇様」
 この国の“象徴”としての意味を問い、慰霊と鎮魂の旅を続けてこられた明仁天皇個人を敬うことは人後に落ちないつもりだが、“天皇様”というような言葉を留学生にドヤ顔で教える日本語教育者には虫酸が走る。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2017/06/10/8727487/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。