市民と市民の語り合いから2017年02月06日 15:36


 昨日は、東京大学内の学生支援センターにあるディスカッションルーム。同大学の日韓文化交流実行委員会が主催した日韓関係を考える講演と対話の交流会。こちらは韓国国際交流財団が後援だった。日本で学んでいる韓国の留学生のほか、主催者の知人・関係者など20人ほどが、「まだ日韓関係で消耗してるの? −国家を超えた対話の鍵」と題した集まりで時間を共にした。

 講演は、公式な場での通訳を始め、大学での日本語教育にも携わっている大草稔さん。青年の頃に出会った人形劇の海外公演で韓国に行ったことがきっかけで、様々な文化交流を立ち上げながら日韓の交流に深くかかわってこられた方である。“ひきこもり”の青少年を交互に受け入れる体験交流を通じた自立支援のプログラムから、個人的な経験まで、多くの事例を紹介しながら韓国での対日意識をひもといて話してくれた。実際の年齢よりずっと若く見える容貌は、おそらく舞台に立った経験と日常的に接している若者との交流から生み出されたもののように思えた。

 日韓双方が相手に対して抱く意識。時に、メディアで増幅され、受容する人々に蓄積されたイメージによって生み出される固定観念をどのように解きほぐすのか。領土や慰安婦など、大手メディアにあまり出てこない歴史認識を含め、両国政府や国民の間で大きく異なる意識の違いを、ただ声高に語るだけでは解決の糸口は見つからないだろう。しかし、そうした問題のよってきたるところを丹念にたどりながら、より良い解決方法を対話でさぐることをあきらめてはいけない。参加した若い学生達の中には、変化の激しい韓国社会からわずかの間離れてみたことで、その糸口を見つけた人もいたようだ。日本人講師が移り住んだ隣国の生活から見つけた未来志向の関係作りのヒントは彼らにも十分伝わったのではないだろうか。

 交流会後に一緒に食事をした席で、社会教育を研究している主催者の韓国人が、第二次大戦終了後に燎原の火のごとく日本全国に波及した公民館設置の活動を紹介してくれた。戦前から繋がる地域共同体を基盤にしたものであったにせよ、そこには、もう二度と戦禍に巻き込まれないためにこそ“学ぶ”新しい“市民”を創り出そうとする構想があったはずだ。その理想主義的な試みはある程度の成果を上げたものの、70年の経年劣化と、拙速に“決める”社会風潮の中で消えかかっている。まわり道かも知れないが、身近にできるところから少しずつ、消費行動で孤立化した人々をつなぎ合わせるような行動ができたら素晴らしいと思う。

 トランプ氏の大統領就任と、それに対する日本政府のあまりに卑屈な対応を見て、気力が失せていくような数週間だったが、市民交流に参加した若い人たちの目を見ていたら少し元気を取り戻せた。「映画祭」も「日本語教室」も孤立化した人々をつなぐ一歩だと考えている。

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